経済政策に見る「バカの壁」 (『金融財政』2004.2.19号)
昨年は「バカの壁」という言葉が流行した。養老孟司氏によると「それ以上の理解を諦める、あるいは聞く耳を持たない、という形で思考を停止し、己の周囲に作っている壁」だそうである。そう言われてみると、現代日本の経済政策の中にも、大切な分野で思考停止が行なわれ、「バカの壁」が築かれ、それ以上政策が発展しない例がいくつもある。それが日本経済の停滞を長引かせている。
「改革なくして成長なし」は小泉首相の「バカの壁」の一つだ。誰でも中長期的にはそう考えている。しかしそこで思考停止し、短期的な改革と景気の関係を考えていない。景気刺激的な改革を最優先すれば成長率が上がり、それが構造転換を容易にし、改革をやり易くすることを考えようともしない。
就業人口の一割を占める輸出関連企業の業績回復と、九割を占める内需関連企業の業績低迷に二極化し、成長率も二%程度にしか達しない現在の日本経済では、内需関連(ほとんどは非製造業)部門の規制緩和を急いで投資と雇用の機会を増やすのが急務である。ところが規制緩和は、政官業癒着にはばまれて、「改革特区」の名で特定地域の部分的規制緩和が行われているだけだ。旧社会主義計画経済の途上国が市場経済化する時に意味を持つ特区の制度を現代日本に導入して、「特区はよい事だ」という所で思考停止しているのも「バカの壁」ではないか。
「民営化はよい事だ」という所で思考停止しているのも「バカの壁」だ。市場メカニズムに沿って民間企業が行った方がよい事業を政府が行ない、官業の民業圧迫を起こしている場合の民営化は、もちろんよい事だ。しかし道路は公共財であるから、道路公団の民営化はよい事ではない。その根本を考えずに、どのように民営化するかという所から議論をスタートしたのは、典型的な「バカの壁」だ。道路公団に代って、高速道路と言う公共財を建設する新しいやり方を議論すべきなのだ。
「三位一体」はよい事だとして思考停止しているのも「バカの壁」だ。中央官庁の計画に沿った地方自治体のプロジェクトだけに補助金を出す現在の補助金制度を壊すのが地方主権の確立である。それなのにこの補助金制度は温存したままで、ただ補助金と地方交付税を減額することを優先し、代りの税源移譲は後回しにして、地方分権の推進だと考えている。これでは地方自治体が財源不足で困るだけで、地方主権の確立どころではない。
社会「保険」制度に固執し、保険制度の枠内で社会保障制度を改革しようとしているのも「バカの壁」だ。何故「保険」制度でなければならないという所で思考停止するのか。働く世代から保険料を取り、高齢者に給付する賦課方式の社会「保険」制度は、働く世代が減り高齢者が増える少子高齢化の下では破綻するに決っている。子供にでも分かる事だ。基礎年金、高齢者医療、介護の三つについては、高齢者自身も含む国民全員が、所得・消費の水準に応じて負担する「税」方式に早く切り替えなくては、給付は下がり、保険料は上がり、保険料の未納が増えて「保険」制度そのものが破綻するのは目に見えているではないか。政府が国会に提出した年金改革法案で問題が解決するとは、国民は誰一人考えていないであろう。
少子高齢化の下でも社会「保険」制度が維持出来る社会保障は、働く世代だけが加入する賦課方式の医療保険と、報酬比例の積立方式の年金保険だけである。