「りそな」「生保」問題 (『金融財政』2003.6.11)
最近、国民生活を直撃するような金融面の出来事が二つあった。りそな銀行に対する公的資本注入問題と、生保予定利率引き下げ法案の国会提出だ。この二つのケースはいずれも、小泉政権が需要喚起策を採らず、低金利と株安を放置したことが基本的な背景になっている。
まず、りそな問題をみてみると、自己資本比率が二%強にまで下がったことが突然表面化した。普通であれば四%を大きく割ったら、業務停止命令を出して、債務超過になっていなくても、公的負担なしに精算するべきだ。ところが、預金保険法では、廃業による金融システムへの影響が大きい場合は、公的資本を注入できると定められている。りそな銀行はこの条文により、国民の税金を二兆円も投入して、自己資本比率を一○%強まで引上げ、実質上国有化することになった。
一方、生保の予定利率引き下げ法案というのは、予定利率を引下げないと債務超過に陥り、倒産する蓋然性が高い生保会社が予定利率引き下げを提案し、当該保険の契約者の九割以上が承認したら、引き下げを実施してもよいという法案だ。民間における長期契約で、自分の都合が悪くなったら勝手に変えられるというのは、普通なら私法上成立しない。しかし、この法案が通れば、予定利率に関しては、九割以上が賛成すれば引き下げが可能になる。
この二つの事件をみると、共通していることが二つある。政府の責任と、経営者の責任により発生した問題という事だ。
まず、政府の責任というのは、小泉首相が改革なくして成長なしという戦略の下で、二年以上需要喚起策を採らないことの責任である。その結果、ゼロ金利が続き、金利全体が超低金利となっているために、りそな銀行は業務純益が減り、生保は逆ザヤになってしまっている。また、需要喚起策を採らないために、株価が低迷している。このため、りそな銀行も生保も、大きな株式評価損を出してしまった。その結果、りそな銀行は自己資本比率が低下し、生保は保険金の支払いに備えた責任準備金を約束どおり積めないということになった。
これは小泉政権の二年間の経済運営が原因である。政策の失敗で、金融面にしわ寄せがきて、国民の犠牲(血税二兆円投入と契約した生命保険額の減額)につながっている。この責任は重大だ。
次に経営者の責任をみると、りそな銀行はバブルに踊り、その後の経営も適切ではなかったため、不良債権をたくさん作ってしまった。この不良債権の処理額は業務純益をはるかに上回っている。業務純益自体が、低金利と株安で減っているところへ、さらに不良債権処理の負担がかかり、自己資本比率が四%以下に下ってしまったのだ。
生命保険会社もやはりバブルに踊って、超高利回りの保険商品をたくさん売ってしまった。契約が成立した以上、今になって困ったとしても経営者の自己責任だ。
以上のように、両者に共通しているのは、小泉首相の政策の失敗と、経営者の責任だ。それなのに、そのしわ寄せが国民にくるというのが、二つの金融事件の共通点である。生保の予定利率引下げ法案では、経営者、および劣後債・劣後ローンで資金(実質上の資本)を提供している銀行(一種の株主)は責任をとれと明示されていない点も問題である。
国民はもっと怒るべきではないか。