「そごう」問題は落着していない」 (『金融財政』2000.9.11)

「そごう」問題は、「そごう」が国に対する債権放棄の要請を取下げ、裁判所に民事再生法の適用を申請したことによって、一件落着したと思っている人が多い。しかしこれは、問題を半年程先送りしただけであり、むしろ国の債権放棄額(国民の血税投入額)は拡大する可能性が高まったのである。
民事再生法は、会社更正法の複雑な手続きに向かない中小企業のための再建型整理の法律であるため、経営者がそのまま経営を続け、資産も管理しながら、数々の手続きを省略し、六〜十二ヵ月で再生計画を決定することが出来る。法の精神から言えば、大企業の「そごう」のように数百人の債権者が居る場合の再建型整理には簡略すぎて不適切である。しかし民事再生法は、大企業への適用を禁止していないので、この「そごう」のケースは適法となる。
「そごう」の場合、恐らく今年の十一月頃には経営者と債権者が話し合って再生計画の原案が出来上がり、来年の一月頃には裁判所が決定して再生計画が動き出すであろう。
「そごう」の経営悪化は、借金過多が原因であり、主要店の経常収支は黒字である。従ってその再建計画は、借金と地方の赤字店の切捨てが主な内容となる。再建型整理で借金切捨て(債権放棄)を決める時は、裁判所は「債権者平等の原則」、すなわちプロラタ方式で行う。つまり債権額のシェアに従って個々の債権者の債権放棄額を決めることになる。
当初、金融再生委員会に国の債権放棄を要請していた段階では、裁判所の法的整理計画ではなく、「そごう」と債権者が協議して作った私的整理計画であった。従ってプロラタ方式ではなく、メイン・バンクの興銀が債権をほとんど全額放棄することにより、国の債権放棄額を九七〇億円に抑えていた。
しかし、プロラタ方式となれば、国の債権放棄額は少なくとも二三〇億円増えて千二百億円に達するであろう。
森首相は、所信表明演説でも、本会議や委員会の答弁でも、国の「債権放棄は安易にするべきではない」と述べている。
しかし、民事再生法に基づいて裁判所が決定する債権放棄に対して、国といえども拒否することは出来ない。まず第一に、「そごう」の経営者、債権者と裁判所が再生計画を協議する段階では、国はまだ債権者ではない。債権者は新生銀行(旧日長銀の受皿銀行)である。従って国はこの協議に参加できない。
そして裁判所がプロラタ方式で債権放棄額を決めた結果、新生銀行の債権が二割以上減価することになる。その段階で「瑕疵担保特約」に基づき、その債権を国が新生銀行から減価する前の簿価で買い取ることになる。この時始めて国が「そごう」に対する債権者となるが、既に債権放棄額は裁判所の決定で決まっているので、国は従わざるを得ない。
この過程で、国が裁判所に干渉する、つまり行政権が司法権に介入することは、憲法の三権分立の原則から言って許されない。
結局、森内閣がやったことは、国の債権放棄を自分の責任で行なわず、裁判所の責任で行おうとしていること、その結果債権放棄の時期は半年先送り出来たが、債権放棄の額はむしろ膨らんでしまうこと、の二点である。半年後にもし森内閣が退陣していると、まんまと責任逃れをしたことになり、責任の所在はあいまいになる。ただ、国民に回るツケだけは大きくなって残る。