デノミを冷静に検討しよう (『金融財政』1999.10.14)

九月三〇日(木)の自自公連立協議において、自由党は二十一世紀初頭(出来れば二〇〇一年一月一日)から、現行の一〇〇円を新しい一円、現行の一円を新しい一銭とする「デノミネーション(通貨の呼称単位の変更)」を提案した。
公明党は賛成したが、自民党は内部で賛否が分かれているため、「二十一世紀初頭から、円のドル、ユーロと並ぶ国際通貨としての役割を高める方途を、デノミネーションも含めて協議を開始する」という形で、自自公の党首間合意文書の中に入った。
自由党の提案には、二つの狙いがある。
第一は、日本円を米ドルやユーロと並ぶ三大国際通貨として使い易くするため、通貨呼称単位を米、英、独、仏、スイスなど先進国の通貨とほぼ同じ大きさに揃え、「普通の通貨」にしようというのである。
第二は、二十一世紀初頭に、円の呼称単位を変更することにより、新しい世紀に入ったという気持ちを国民全員に持ってもらうことだ。 これは心理的な効果であるが、理屈を付ければ、新しい世紀を迎えるに当たり、第二次大戦後のインフレーションという旧世紀の負の遺産を整理すると言ってもよい。
歴代の総理大臣の中では、福田総理と中曽根総理がデノミ論者であったが、志を果たせなかった。切掛けがなく、何となく唐突であったからである。その点、今度は二十一世紀に入るという絶好の切掛けがある。百年に一度のチャンスと言えよう。国際通貨としての円に対するアジアの期待も高まっている。小渕総理は真にラッキーといえよう。
かつてのデノミ論の中には、景気を刺激するためとか、株価を上昇させるためといったような誤った主張が多かった。しかし、デノミを実施した場合のマクロ的経済効果は、ほぼ中立的である。何故なら、コンピュータのソフト、正札や自動販売機の値段の表示、帳簿類などの変更は、一方で新しい需要を生み出すが、他方で企業一般にその費用負担が懸かるので、需要増とコスト増が相殺し合う。業種別の影響は異なるが、マクロ経済全体としては、影響はほぼ中立化される。
かつてはデノミが便乗値上げを促進するとも言われたが、いま値段を書き換える時に切り上げるような企業は、価格競争で敗退するであろう。とくに今回は、例えば現在の一二,三四五円は一二三円四五銭になるので、数字はそのままでよい。「円」の位置を変え、「銭」を加えるだけでよい。逆にデノミのコストが収益を圧迫し、不況を深刻化するという懸念があるとすれば、これも杞憂だ。二十一世紀初頭には景気が回復しているし、コスト増と需要増がほぼ相殺し合うからだ。
国民が慣れる迄は、現在の様式の一万円札に新一〇〇円と重ね刷りし、千円札に新一〇円、百円硬貨に新一円、十円硬貨に新十銭、一円硬貨に新一銭と夫々印刷ないし印刻し、現在の札や硬貨と同時に併行流通させればよい。そうすれば、国民は同じ様式の札や硬貨を使うことにより、通貨呼称単位が変わるだけで、国民生活の実態はまったく変わらないことを、実感するであろう。また現在の札や硬貨は、いつ迄も有効に流通させるのがよい。そうすれば、仕舞い忘れた古いおカネが出てきても大丈夫だ。
これは一九六〇年のフランスのデノミの時に、実際に行って成功したやり方である。この時は、混乱がまったく起きなかった。社会的混乱を心配するのも杞憂である。