税方式は保険方式より公平 (『金融財政』1999.6.14)

今年度は五年に一回の「財政再計算」の年に当たる。自由民主党と厚生省は、年金審議会や社会保障制度審議会への諮問、答申を経て、今後五年間の年金制度の在り方を定めた「年金制度改正大綱」を決め、「年金制度改正案」を国会に提出する準備を整えた。ここでは従来同様、「社会保険方式」を前提としている。
社会保険方式というのは、年金の支給を受ける前の生産年齢人口(基礎年金の場合原則として二〇〜六四歳)から保険料を徴求し、原則として六五歳以降の高齢者に年金を給付する制度である。従って、少子高齢化が進み、二〇〜六四歳の人口が六五歳以上の人口に比して相対的に少なくなれば、二〇〜六四歳の人口が支払う「保険料は上昇」し、六五歳以上の人口が受け取る「給付水準は低下」するのが必然である。それを避けようとすれば、国庫負担割合を際限なく引上げなければならないが、それも最終的には後世代の国民の租税負担となる。従って、若い人を犠牲にして高齢者に年金を給付することに変わりはない。
今回、自由民主党と厚生省が用意した年金制度改正案大綱においても、給付額の賃金スライド中止、給付開始年齢の引上げ、報酬比例部分の支給水準五%カットなど、さまざまの形で「給付水準の引下げ」を図っている。他方、若い人が支払う「保険料の引上げ」については、当面は延期するが、安定財源を確保して国庫負担を現在の三分の一から二分の一に引上げる時に、同時に保険料も引上げると決めている。
つまり、高齢化に伴なう基礎年金給付額の膨張を、「国庫負担比率の引上げ」(最終的には将来世代の負担)と「保険料の引上げ」(現在の若い世代の負担)の両方で賄うというのだ。それでも足りなくて、現在の高齢者に対する「給付水準を引下げる」という。
これでは、現在の労働年齢人口や将来世代の人々は、保険料や租税負担が増加し、しかも将来もらえる年金給付水準は下がるのであるから、生活に不安を感じるのは当然である。
自由党はかねてからこの欠陥を指摘し、すべての日本の高齢者に支給するナショナル・ミニマムとしての基礎年金の財源は、社会保険方式ではなく、消費税方式によって現代の世代から広く薄く調達すべきだと主張している。そこで税方式への道を開くため、現在自民党との与党協議を続け、法案の国会提出を止めている。
自由党が最終的に目指しているのは、消費税の使途を基礎年金、介護、高齢者医療という高齢者福祉の三分野に限定する消費税の高齢者福祉目的税化である。現在基礎年金の財源は一三・三兆円(平成十年度)要るが、そのう約三分の二の八・六兆円は、二〇〜六四歳の人口から保険料として徴求している。もっとも、国民年金(基礎年金)の場合、実際に保険料をきちんと払っている人はその三分の二しか居ない。
基礎年金の財源を、正直に保険料を納めている二〇〜六四歳の人々のみから徴求するよりも、金持ちの老人を含む総ての日本国民が、消費する度にその一定比率を基礎年金の財源として寄付する消費税方式の方が、はるかに公平である。
保険料をゼロとし、その分を消費税で賄ったとすると、消費税率は三・三%である。保険料が所得から差し引かれなくなると二〇〜六四歳の人々の可処分所得は増え、反面、消費税負担は広く薄くなるので、この人々の負担は差し引き軽くなる。企業の保険料負担もゼロになるが、この分は企業に対する外形標準課税の新しい事業税の税源にすべきだと考えている。