財金分離問題の決着 (『金融財政』1999.4.27)

防衛指針法案が衆議院を通過し、参議院で成立する目処も立ったので、国会の次の焦点は中央省庁等改革法案となる。その中に、九五年頃から各方面で激しい議論を重ねてきた財政・金融分離問題の決着が含まれている。財金分離問題は、度重なる大蔵省金融行政の失敗と不祥事に端を発した「大蔵省分割論」から始った。九二年に三和銀行が日住金の不良債権早期処理を計画したにも拘らず、それに待ったをかけて先送りし、住専問題を深刻にしたのは大蔵金融行政である。九六年春になって、ようやく公的資金を投入して住専問題を処理した後、不良債権問題は峠を越したと稱して何もせず、九七年十一月の拓銀・山一の破綻など金融危機を招いたのも大蔵金融行政である。
このように後手後手に回る金融行政の背後に、識者は財政政策最優先の大蔵省の体質を読み取り、大蔵省を財務省と金融庁に分割すべきだと主張し始めたのである。不良債権の早期処理は税収を減らすという事からも分かるように、金融行政と財政政策にはしばしば利益相反が生じるので、二つの政策は二つの省庁で分割所掌すべきだという訳だ。
このような利益相反は、財政政策と金融政策の間にもある。八十年代の後半に大蔵省は財政再建を急ぎ、内需刺激の積極財政を控え、その役割を日本銀行の超低金利政策に押し付けた。その結果、バブルの発生と崩壊で、今日に至る迄日本経済は呻吟している。
このような財政政策と金融政策の関係については、一足早く、昨年四月から施行された新しい日本銀行法によって解決した。大蔵省は日本銀行に対する政策指示権を失ない、総理大臣は任期途中で日銀総裁の首を切ることが出来なくなった。金融政策を、政府から独立して決定することが担保されたのである。
これに遅れること約三年、二〇〇一年一月からの中央省庁改革の一環として、金融行政は金融庁の所掌、財政政策は財務省の所掌という形で、金融行政と財政政策の分離も実現しようとしている。しかし金融行政の場合は、財政政策との間で利益相反の面と補完的な面の両面がある。何でもかんでも、財金は完全分離、金融行政は一元化がよいとは限らない。
そこで完全分離して金融庁が専管するのは、「国内金融および民間金融機関の国際業務」に関する「制度の企画及び立案」となった。日本銀行が考査の結果を連絡したり、金融機関の破綻認定を届け出たりする相手も金融庁であり、日本銀行に対する特融の要請(但し要請するだけで決定権は日本銀行)も金融庁から行なわれる。
他方、財務省プロパーの所掌は「健全な財政の確保、国庫の適正な管理、通貨に対する信頼の維持及び外国為替の安定確保」となる。そして、このプロパーの所掌「の任務を遂行する観点から」という限定が付いた上で、「金融破綻処理制度及び金融危機管理に関する企画及び立案」を、金融庁と共管する。つまり、途上国のデフォルト、為替相場の混乱、電子決済制度の事故など財務省本来の仕事に絡む金融危機や金融破綻、および財政措置などに限り、共管するのであって、あとは金融庁が専管する。
この結果、旧銀行局と旧証券局が一緒になって出来た現在の金融企画局は廃止され、恐らく官房の中の課に縮小する。この課が、財務省プロパーの仕事と金融行政の補完的な接点を所掌し、日本銀行の政策、組織、内規などの自主的決定の届け出を受け付ける部署ともなる。