臨時国会の冒頭解散は「ボロ隠し解散」だ


―「マニフェスト」を踏まえて論争した後に解散せよ(H20.9.10)

【「見世物型」総裁選で勢いをつけ臨時国会の冒頭で解散】
 自民党の「見世物型」総裁選が始まった。5人の候補者で大立ち回りを演じ、国民の注意を引き付けて野党を埋没させ、「小泉劇場」を再現することを狙っているのであろう。自民党の指導者達は、公然と「総裁選の勢いがあるうちに解散するのが、もっとも自民党に有利」と言っている。そこから、臨時国会の冒頭解散は必至と見られている。
 しかし、考えてみればこれは国民を馬鹿にした話ではないだろうか。自民党内の政策論争だけ見せて解散されたのでは、国民は自民党と他の政党の政策を比較することが出来ない。真面目に民主主義を考えるのであれば、臨時国会では各政党が総選挙のために準備した「マニフェスト」を示し、補正予算の審議や党首討論で対決し、論争して欲しい。
 しかし自民党の中には、「それでは政府、与党のボロが出て不利になる恐れがあるから、冒頭解散が一番安全だ」と平気で言っている人達が居る。要するに国民を騙そうという訳だ。

【今度は国民は騙されないのではないか】
 しかし、国民はそれ程馬鹿ではないだろう。日本国の総理になるかも知れない人を選ぶ自民党の総裁選にしては、幅広い準備(勉強、経験、人脈など)もなしに立候補したとしか思えない無責任な人が混じっている。このようなレベルの低い「見世物型」総裁選に引き付けられて、自民党以外の政党の存在を忘れる程国民は愚かではあるまい。
 「小泉劇場」の時にはまんまと騙されたが、郵政民営化賛成は改革派、反対は野党を含めてアンチ改革派という筋立ては分かり易かったし、反対派の選挙区に刺客まで放って「芝居」を盛り上げた。
 しかし、今回はここまで巧妙な筋立てはないし、一度騙されて今ひどい目に会っている国民(年金の不正、後期高齢者医療制度、格差問題、景気後退、物価上昇などの国民生活圧迫は郵政選挙の関心から上手に外された)は、二度と同じ手には乗らないであろう。

【自民党総裁候補達の経済戦略の対立軸】
 国民はいま冷静に政策の対立軸を見ていると思う。自民党の総裁選に名乗りを上げた人達の意見の対立を見ると、主として経済政策の分野に在るように見受けられる。この十年間に、日本の一人当たりGDPが世界第3位から18位に転落してしまったことを受けて、自民党政治家の最大の関心事も、日本経済をどうやって立て直すかにあるようだ。
 そこで、経済戦略の在り方に絞って、国民が注視すべき対立軸を整理してみよう。
 新聞などでも分類しているように、自民党の総裁候補者達の主張はザックリと分ければ、「財政積極派」、「財政規律派」、「上げ潮派」の三つである。
 「財政積極派」と「財政規律派」の目線は需要サイドに向いている。減税や財政支出拡大などの積極財政で先ずは3年間ほど需要面から景気を立て直すのが、日本経済再建の手始めだとするのが「財政積極派」である。
 これに対して「財政規律派」は、積極財政を実施しても、結局はそれで拡大した財政赤字を縮小するために緊縮財政に転じるほかないので、長い目で見れば財政赤字を拡大するだけ日本経済の再建は遠ざかると見る。始めから財政規律を重んじ、財政再建最優先で行った方が、国民は安心し、日本経済の再建は早いと考える。

【需要サイドか供給サイドか、小泉改革の見直しか推進か】
 他方、「上げ潮派」の目線は日本経済の供給サイドに向いている。小泉=竹中流の構造改革によって日本経済の供給サイドの効率を高めることが、日本経済再建の王道と考えている。従って、需要サイドを重視する「財政積極派」、「財政規律派」と「上げ潮派」の対立軸は、小泉=竹中派の構造改革が生み出した格差拡大などの問題点を洗い出し、改革を見直すのか、それとも一層推進するのかの対立でもある。
 需要サイドを重視し構造改革をあまり考えない立場は、どちらかと言えばケイジアンである。供給サイドを重視して構造改革を推進しようという立場は、新古典派寄りだ。どちらが正しいかは時と場合によるが、この十年間の日本経済の国際的地位の低下に関する限り、基本的にはグローバル化とIT化に対する政策的対応が遅れて経済全体の効率が低下し、潜在成長率が低下したことが主因である(鈴木淑夫『円と日本経済の実力』<岩波ブックレット>参照)。従って、自民党内部の争いに限定すれば、上げ潮派の主張の方が適切ではないかと思う。

【自民党は「体制内改革」、民主党は「体制の改革」】
 しかし、日本の政界全体を見れば、もう一つ小沢民主党の主張がある。これも供給サイドに目を向けた構造改革派に分類出来るが、自民党上げ潮派の小泉=竹中流構造改革とは大きな違いがある。小泉改革は戦後半世紀以上続いてきた日本の体制(野口悠紀夫氏の言う「40年体制」=『選後日本経済史』参照、飯尾潤氏の言う「官僚内閣制」「省庁代表制」=『政局から政策へ』参照)を、形を変えることによって存続させる「体制内改革」である(飯尾潤『政局から政策へ』参照)。道路、郵政、政府金融、年金、公務員などの制度改革は、形は変わっても、中身は廃止されず、続いている。
 小沢民主党は、このように中身を温存したままの「体制内改革」ではなく、中身もろとも体制そのものを変えなければ日本は立ち直れないという「体制の改革」を目指しているようだ。省庁に100人以上の与党議員と一部民間人を入れ、政府=与党の政策決定機構を一元化して、「官僚内閣制」に代えて国民に選ばれた「議員内閣制」を創ろうとしている。官僚主導の道路、政府金融、公務員、特別会計、独立行政法人などの諸制度を廃止、あるいは根本的に変えて財源を捻出し、子供手当、農業の戸別所得補償、ガソリン暫定税率の廃止、高速道路の無料化、後期高齢者医療制度の廃止、年金制度の一元化と最低保障年金導入などのセイフティネットとシビルミニマムの強化に使おうとしている。

【日本の将来をどう構想するのか臨時国会で論争してから解散せよ】
 以上、経済戦略に限って、自民党の党内対立と、自民党と民主党の対立を整理してみた。
 これらの対立軸を明確にし、国民に選択の機会を与えるためには、始めにも述べたように、臨時国会で冒頭解散せず、各党が「マニフェスト」を踏まえて、将来の日本をどう構想するのかについて、論戦を戦わすことが必要である。
 その上で、臨時国会終了時に解散するのが最も望ましい。「首相の失言が出てはまずい」とか「国会で追及されたくない問題がある」という理由で冒頭解散をするなら、飯尾潤氏が言うように「ボロ隠し解散」である(9月8日付日経紙「経済教室」欄参照)。