明治維新前夜に似た日本の政界


―福田内閣の辞任に思う(H20.9.2)

【福田総理と安倍総理の辞任=政権投げ出しは本質的に同じ】
 福田総理が、昨夜、突然辞任した。洞爺湖サミットで外交的パフォーマンスを示しても支持率が上がらず、内閣改造で新経済対策を打ち出しても支持率が上がらず、9月1日に発表された日本経済新聞(テレビ東京)の世論調査では、「これからの首相にふさわしい人物は」で麻生太郎氏の25%に対し、福田首相は5%に過ぎなかった。
 安倍総理と同じように唐突な辞任であるが、臨時国会前を選んだという意味では、混乱が一番少ない時期を選んだ積りなのであろう。
 しかし、インド洋の給油法案延長、景気後退懸念に対処する経済対策、消費者庁創設などの切迫した課題を投げ出すのであるから、安倍総理の辞任と実質的には同じ無責任な退任である。
 どうしてこのような対外的にも恥ずかしい事態が日本で続くのか。国民としてはやりきれない気持ちであるが、実は原因はかなりはっきりしている。

【「体制の改革」ではなく、「体制内改革」しか出来ない自民党政治の行き詰まり】
 幕末の徳川幕藩体制の崩壊と同じである。
 誰が将軍になろうと、誰が大老として改革を試みようと、300年続いたシステムが産業革命下の大航海時代という世界の趨勢に合わなくなり、唯一の解決策である「開国」のブレーキになっていた。パッチワークの「システム内改革」ではどうにもならなくなり、「システムの改革」を目指す動きが下級武士や大商人の中から沸き上がったのが明治維新だと思う。
 同じように、誰が自公政権の責任者になろうと、「ネジレ国会」の下では政治の運営に行き詰まる。この「ネジレ国会」は半世紀以上続いた自民党の「議員内閣制」ならぬ「官僚内閣制」(飯尾潤『政局から政策へ』)、いわゆる「55年体制」に対する国民の転換の意志が、昨年の参議院選挙で現れた結果である。55年体制の枠内で、道路、郵政、年金などの改革を小泉政権が行ってきたが、国民は、自民党が官僚主導政治に乗った55年体制の中で行う改革では問題の解決にはならないことを悟ったのではないだろうか。そうではなくて、国民はいま体制そのものの改革を求めているのである。官僚が支配する「体制(システム)内改革」ではなく、脱官僚、政治(国民)主導を目指す「体制(システム)の改革」を実行出来る政権を、国民は求めている。

【政治空白を無くすため解散・総選挙を急げ】
 解決は解散・総選挙しかない。自民党の「体制内改革」ではなく、国民が求める「体制の改革」を民主党が打ち出せるかどうかに今後が懸かっている。
 自民党政治の行き詰まりは明らかであるが、民主党に政権担当能力があるのか。これが多くの国民の迷いであろう。
 民主党は、この国民の迷いに答えることが出来る「マニフェスト」と「政権構想」を打ち出すべきであろう。それが無投票3選を果たす小沢代表に課せられた使命である。
 とにかく一度、非自民政権を創ってみよう、それで駄目なら政界再編で新しい政治の流れを探ろう、というのが、いま多くの国民が考えていることではないだろうか。
 恐らく麻生内閣が誕生するのであろうが、歴史的使命を自覚し、麻生氏は早期に解散に踏み切るべきである。「ネジレ国会」の下では誰がやってもうまく行かない事は、安倍、福田の二人の総理が証明した。最後の将軍、徳川慶喜のように、上洛しても志しを果たせず、江戸に逃げ帰って大政奉還をすることになるかもしれないが、今は潔く国民に信を問うべきである。