「靖国」を党内抗争の貝にした罪と罰(H17.6.17)
─小泉首相の責任は重い─
【靖国参拝の公約は党内抗争の手段であった】
小泉首相は、総理・総裁の座に着く前、ほとんど靖国神社に参拝したことがないと伝えられる。その小泉さんが、自民党の総裁選挙の際、「首相になったら毎年8月15日に靖国神社に参拝する」という公約を掲げたのは何故であろうか。
それは小泉さんの対立候補である藤井さんが橋本派(旧田中派)であり、その橋本さんが当時日本遺族会の会長であったからだと言われている。つまり、日本遺族会の会長である橋本さんでさえ、首相の間は96年の誕生日に参拝したしただけであったが、自分(小泉さん)が首相になれば毎年8月15日に靖国神社に参拝すると公約することによって、遺族会関係者の党員票を田中派の藤井さんから奪うことを狙ったのだと言われている。
その効果がどの程度あったかは分からないが、総裁選の結果は小泉さんが藤井さんに勝って、総理総裁の座に就いた。そして公約通りの8月15日ではなく、8月13日に参拝した。それでも遺族会は、謝意を表明した。明らかに小泉さんと遺族会の間には何らかの取引があったのであろう。
【国内政治や国際政治を考えなかった小泉さんの罪と罰】
その後今日までの4年間、小泉さんは徹底した橋本派(旧田中派)潰しを計り、長い間続いた旧田中派・旧竹下派の自民党支配は崩壊した。代って小泉さんの属する森派(旧福田派)が膨張している。
このように見てくると、長い間続いた自民党内の「角福戦争」の最終局面で、その政争の貝として、小泉さんの「靖国参拝」が出てきたことが分かる。
しかし小泉さんは、「首相の靖国神社公式参拝」を自民党の「党内政治」としてしか考えていなかったのではないか。「国内政治」や「国際政治」として考えると、いろいろ難しい問題があることを、よく考えなかったのではないか。
国内的にも国際的にも重要な政治問題を、自民党内というコップの中だけで考えたのは小泉さんの重大な「罪」である。それが小泉さんに対する「罰」となって内外の批判を浴びているばかりではなく、日本にとっても厄介な国際問題を引き起こしている。
【私人の「信教の自由」、公人の「政教分離」】
そもそも日本国憲法には、「信教の自由」と「政教分離」という二つの原則がある。
「信教の自由」から言えば、首相が神社仏閣に手を合わせ、教会にひざまずくのは、私人として自由である。靖国神社であっても、某日、私人として、一般国民と同じように神殿の前で手を合わせ、そのまま帰ってくるのは自由である。特に、国のために犠牲となり、尊い命を捧げた方々に感謝の意を込めて祈るのは、日本国民として立派な行為である。
しかし、「政」の代表者である内閣総理大臣という公人の立場では、「政教分離」の原則を守らなければならない。とくに靖国神社は、戦時中、国家神道の総本山として戦争遂行に大きな役割を果たし、戦後は一宗教法人になったとは言え、大東亜戦争の正当性をホームページなどで堂々と主張している宗教団体である。
その賛否は人によって異なるであろうが(少なくとも私は侵略戦争の側面を否定出来ないと考えるが)、そのような宗教団体に、政治の最高責任者が公人として係わることは、憲法の「政教分離」の原則に反することは明らかであろう。たとえ普通の神社仏閣、教会であっても、公人として係わることは許されないのであるから、当然のことだ。
【靖国公式参拝の中止は国内問題として処理せよ】
以上は、国内問題として考えた場合、A級戦犯の合祀問題とは関係なく、小泉首相は公人として靖国神社を参拝すべきではないという理由である。
しかし小泉さんの「罪」は、その無思慮な行動によって、日本にとって国際的に厄介な問題を引き起こしたことだ。中国や韓国は、日本叩きという「戦略」の中で、靖国問題を教科書問題と並ぶ格好の「戦術」に使っている。
国内問題としては、前述の通り、A級戦犯の合祀、分祀とは関係なく、小泉首相の靖国神社公式参拝は憲法の「政教分離」に違反するから止めるべきなのだ。それなのに、A級戦犯を分祀すればよいなどという外国の政治的発言に振り回されるのは、おろかな事である。
日中、日韓の友好関係を未来思考で発展させるためにも、靖国問題は早く片付けた方がよい。しかし、それは、中韓に言われたからではなく、日本の国内問題として処理しないと、外交的に大きな失点になる。