第145回通常国会活動報告

第145回通常国会活動記録表

【初めて与党議員として臨んだ国会】
平成11年1月19日(火)に開会された第145回通常国会は、終了予定日の6月17日(木)から更に67日間延長され、8月13日(金)に至って207日間に及ぶ会期を了えた。正月から旧盆までの異例の長期国会であった。
ただ長かっただけではない。会期直前の1月14日に自自の政策合意が成立して自自連立内閣が組閣され、その下で後世の歴史に残るようないくつかの画期的な法案を含め、実に110件の重要法案が成立をみたのである(後述)。
私自身にとっては、初めて与党議員として臨んだ国会であった。従って、与党である自由民主党と、野党である自由・民主・公明の3党が激しくぶつかり合った1年前の通常国会とは異なり、私の役割もがらりと変った。


【与党になると法案の国会提出までが勝負】
昨年の通常国会では、本会議での代表討論2回、委員会での代表質問12回(延べ650分)、予算組替え動議や議員立法の提出・答弁各1回という形で、国会の場で活発に活動した(このホームページ「国会活動/発言」欄、"第142回通常国会活動報告"参照)。
しかし今年の通常国会では、与党である自由党の政策責任者の一人として、藤井幹事長兼政調会長と共に連立相手の自由民主党の池田政調会長、丹羽政調会長代理と事前に提出法案の協議を行うことが大きな仕事となった。また内閣提出法案の細部にわたって、閣議決定前に党内関係部会で事前審査し、是非を決定することも重要な仕事となった。
その中で、私自身が国会提出に待ったをかけて自自協議が長引いた重要法案は、年金改正法案と官民人事交流法案である(このホームページの「What's New」欄、"年金改革にみる官僚主導・政治追随"(99.3.29)および"基礎年金の保険方式と税方式を巡る自自間対立"(99.5.25)参照)。また中央省庁再編法案、国会改革法案、ガイドライン法案、国旗・国歌法案などほとんどの重要法案についても同様であった。
要するに与党になると、国会に提出する前の政府・与党内協議が勝負である。一度そこで合意し、国会に提出すると、その法案を早く成立させることが主な関心事となる。従って、国会の討論時間などは短くてもよいことになる。これはある意味で国会討論の形骸化であり、日本の国会の問題点でもある。


【国会改革が実現し、次期会期からは国会討論も真剣勝負の場に】
今国会の委員会での代表質問が、私の場合、6回(延べ180分)にとどまったのは、そのような国会討論の形骸化と関連している。そもそも自分が考えて国会に提出した法案に、自分が質問するというのは、こっけいである。八百長以外の何物でもない。熱も入らない。
自由党が強力に推進して成立させた国会改革法により、次期国会からはこのような八百長はなくなる。政府委員という名の官僚を排除した上で政府・与党が一体となって野党と対決し、討論するようになる。始めて、大臣、政務次官、与党議員が一体となり、野党議員と相対し、官僚(政府委員)抜きで真剣に討論する国会が生まれるのである。与党議員は、これ迄のように法案提出までが勝負などと言っていられなくなる。法案提出後の野党との討論もまた、真剣勝負であり、腕の見せどころだ。


【財政政策は財政再建最優先から経済再建最優先へ転換】
さて、今国会で成立した重要法案は、大きく分けて次の五つに分類することが出来る。
第1は、橋本自民党単独内閣が作り出した経済危機を克服し、景気を回復させるための予算案と関連法案である。自由党が予算編成に参加することにより、本年度当初予算は支払ベースで公共事業の10%増を確保し、更に5千億円の公共事業予備費を設けた。また税制改正法案では、小渕総理の公約である6兆円減税に、自由党が情報化投資や住宅投資などを促進する政策減税3兆円強を追加し、全部で9.4兆円減税となった。この予算案と予算関連法案は、いずれも3月末までに日数の余裕を残し、記録的なスピードで成立した。
本年1〜3月期に年率8.1%成長となったあと、4〜6月期以降も鉱工業生産は回復基調を維持しているが、その背後にはこの積極財政政策の効果が既に出ている(このホームページの「What's New」欄"回復は始まったが、景気刺激型予算は続ける"(99.7.29)参照)。


【大臣、国会議員、地方首長、国家公務員の数を減らす行政改革の第一歩】
第2は、簡素で効率的な政府を目指す行政改革の端緒が開かれたことである。中央省庁再編法案では、これ迄の一府20省庁を2001年1月から一府12省庁とするが、その際自由党の主張により、大臣の数を従来の21名から14名に減らし、また国家公務員の数を今後10年間に25%削減することが付け加えられた。
また地方分権推進法案では、分権の受皿能力のある地方自治体を合併によって作り出し、無駄を排除するため、現在3,300に及ぶ地方自治体の数を当面1,000に減らすことを目指すこととなった。これも自由党の主張を自民党が受け入れたものである。自由党は最終的には人口40万人前後の300の自治体を目指している。
更に自由党は、このように大臣、地方首長、国家公務員の数を減らすだけではなく、国会議員自身の数も100名減らすこととし、取敢えず衆議院議員を50名(2割)削減する法案を自民党との議員立法で提出した。将来の2大政党制を目指し、完全小選挙区制に近付けるため、50名は比例区のみで削減することとしたため、公明党の強い反対に会い、現在継続審議となっている。


【明治以来の官僚主導システムに断】
第3は、明治以来の官僚主導システムを抜本的に改めるため、国会で大臣に代って官僚が答弁する「政府委員制度」を廃止し、新たに与党議員の中から複数の「副大臣」、「政務官」を任命する制度を作った。これにより、与野党の国会議員の質問に大臣と官僚が答弁する質疑方式から、大臣、副大臣、政務官という与党議員が、野党議員と対決するディベート方式に国会の審議が変わる。
国会からシャット・アウトされた官僚は、法律の執行という本来の行政官の仕事に集中できるようになり、数も少なくてすむ。また政策の企画立案も、あくまで大臣、副大臣、政務官に対する行政機構内部での補佐役にとどまり、立法府である国会にまで出て来て説明することは出来ない。
このうち副大臣、政務官の制度は、2001年1月からの中央省庁再編時からスタートするので、次期国会からその時迄の過渡的措置として、政務次官を増やし、事実上、副大臣や政務官の機能を果たさせることにした。


【消費税は高齢者福祉の目的税に】
第4は21世紀に一段と進む少子高齢化に備え、国民が不安に陥らないようにするための第一歩となる手を打った。それは本年度予算の総則に、消費税の収入(地方に回る分を除く)は、基礎年金、高齢者医療、介護の三つの目的にのみ使うと明記したことである。
このように消費税を高齢者福祉の目的税とすることにより、少子高齢化に伴って高齢者福祉が破綻したり、現役世代の負担が重くなり過ぎたりする恐れはなくなる。
あとは、破綻しかかっている高齢者福祉(基礎年金、高齢者医療、介護)の制度を如何にして合理化し、その財源を社会保険料方式から消費税方式へどのようにして移して行くかという課題が残っている。これは次の自自公連立内閣の重要な政策合意の対象となる。


【国家の基本に係わる懸案を次々に成立させた】
最後にこの国会では、かねてからの懸案でありながら、自民党単独内閣では通すことの出来なかった国家の基本に係わる法案を、自由党が連立を組むことによって、次々と成立させた。まず96年の日米安保共同宣言以来3年、関係法案提出以来1年にわたって棚晒しにされ、日米間の信頼を大きく損ない、日本の安全保障上も大きな懸念となっていたガイドライン関連法案を成立させた。
先進国の中で日本だけの法整備が遅れていた組織的な麻薬・薬物売買、殺人(例えばオーム)、密入国(例えば蛇頭)、銃器売買(例えば暴力団)に対する組織犯罪対策として、通信傍受(盗聴)法を含む組織犯罪関連法案が成立した。これらの犯罪組織によって被害を受ける日本国民の人権を守る方が、これらの犯罪組織に電話をした人の通信の秘密を守よりもはるかに大切だということが、国会で確認された。
国旗・国歌法案も、日本の歴史、伝統、文化を正しく継承するための法制化として、衆議院では8割を超える賛成で成立した。
住民台帳基本法案も、国民の姓名、生年月日、性別、住所の4項目のみを番号を付けてコンピュータに入力し、住民票その他の管理を便利にするために成立した。番号で記録されることに対する不快感などと言った反対のための反対は、今日の情報化時代には通用しない。
更に、より根本的には、現行の日本国憲法を国会で検討し直すため、衆参両院それぞれに「憲法調査会」を設置し、5年を目処に議長に調査結果を報告することとする法案が、共産党や社民党の反対を押し切って成立した。戦後初の「論憲」が正式にスタートする。


【自自連立政権の成果は大きいが公明党が入るとどうなるか】
以上のように、経済危機を克服する景気対策、簡素で効率的な政府を目指す行政改革、明治以来の官僚主導システムの転換、少子高齢化に備えた社会保障財源の消費税化、および国家存立の基本に係わる諸法案の成立、という5分野で、歴史に残る画期的な成果を挙げたのが今国会であった。
これは、自由党と自民党の政策合意に基づく連立内閣の成果である。また当初予算案に反対した公明党が4月の統一地方選挙が終って反権力を口にしなくて済むようになると、自自連立内閣の提出法案にことごとく賛成したことによっても、法案成立が促進された。
本年10月に始まる次期臨時国会迄には、この公明党を含め、自自公で政策合意を結び、その実行を目指す連立内閣で国会を運営することになる。果して、我々自由党の改革路線に沿った合意が結べるのかどうか、政策協議が本格化するのは自民党総裁選挙以降であろうか。