日本経済は新型トリレンマに陥った(2024.6.2)

【第2次石油ショック後のトリレンマ】
 2023年度の日本経済は、マイナス成長、3%台インフレ、大幅な円安というトリレンマに陥っている。
 普通、経済がマイナス成長になれば、国内物価は下がり、輸入減、輸出増で貿易収支は改善し、為替相場が上昇する方向に圧力が懸る。その結果、成長率は自律的に回復する。ところが、第2次石油ショック後の先進国では、マイナス成長にも拘らず、輸入物価の上昇で国内物価が上昇し、貿易収支が悪化する「三重苦(トリレンマ)」が起こった。
 当時、日米欧の先進国はエネルギー資源を中東産油国からの石油輸入に大きく依存していたので、中東の産油国が結束して原油価格を3倍に引き上げた結果、貿易収支の悪化、輸入インフレの進行、実質所得減少に伴う景気後退という「三重苦(トリレンマ)」に陥った。
 貿易収支の悪化とインフレを防止するために金融引き締めをすれば、景気がますます悪化する。さりとて、景気を維持するために金融を緩和していれば、インフレと貿易収支の悪化は改善されない。

【先進国の対応は二つに分かれた】
 この時、先進国の対応は二つに分かれた。
 日、米、西独は、金融引き締めによって先ず景気とインフレを抑え、貿易収支を改善した。その上で引き締めを解除して、景気回復を図り、数年間でトリレンマを脱出することができた。
 しかし、西独を除く欧州先進国は、国内景気の後退を恐れて引き締めを程々にしたので、インフレと貿易収支悪化がいつ迄も続き、トリレンマから脱出することができなかった。
 この頃OECDなどの国際会議では、日、米、西独を「強い国(stronger countries)」、西独を除く欧州諸国を「弱い国(weaker countries)」と呼び、「強い国」が景気回復を促進して「弱い国」の景気を引き上げる「機関車」にならなければ、世界の先進国経済は立ち上がれないという身勝手な「機関車論(locomotive theory)」がはやった。

【今回は欧米先進国が一斉に金利引き上げで対処した】
 さて、今回2022年から始まった原油、LNGなど鉱物性燃料の大幅上昇に対しては、やや対応が遅れた傾向(いわゆる behind the curve)があったが、米国と欧州先進国は輸入インフレに対処して、大幅な金利引き上げで対処した。その結果、各国内部のインフレ率は2023年中に頭打ちないしは徐々に低下し始めており、今や本年のいつ頃から利下げが始まるかが、注目されている。
 その中にあって、一人日本のみは、24年3月にマイナス金利政策とYCCを解除する迄、2022年度、23年度の2年間、マイナス金利政策とYCCを中核とする異次元金融緩和政策を維持してきた。

【日本はマイナス成長、インフレ、円安の新型トリレンマに陥った】
 その結果、23年度の日本経済は、第2次石油ショック後の西独を除く欧州先進国(弱い国)と、基本的には同じトリレンマに陥ってしまった。
 23年度中の実質成長率(24年1~3月期の前年同期比)は、-0.2%のマイナス成長である。それにも拘らず、23年度中のGDPデフレーター(同)は、+3.6%も上昇した。しかも円相場は、年度初の1ドル=130円前後から、年度終の150円強まで円安が進んでいる。
 日本がマイナス成長、インフレ、円安の新型トリレンマに陥った理由は、第2次石油ショック後の「弱い国」と同様、インフレや円安に対処する利上げ政策によって、国内景気を悪化させること(デフレの再来)を恐れたからであるが、もう一つ、「輸入(imported)インフレ」の「国産(homemade)インフレ」への転化を甘く見ていたせいでもある。
 下表は、日銀「展望レポート」からひろった日銀政策委員の物価見通し(中位数)である。23~24年度のCPI(除、生鮮食品、以下コアCPI)とCPI(除、生鮮食品・エネルギー、以下コアコアCPI)の見通しであるが、22年4月には1%台程度であったものが、24年4月には3%前後にまで大きく上方修正されている。とくに、輸入物価上昇の影響が少なく、国産インフレの指標と見られるコアコアCPIは、1.2%という当初の甘い見通しが、本年4月には3.9%まで大きく上方修正をされている。これは、日銀が輸入インフレの国産インフレ転化を、いかに小さく見ていたかの証左でもある。


輸入インフレを奇禍としてゼロ・インフレのノルムを破壊した】
 しかしそれも無理はない。日本のCPIは、1997年の金融恐慌以来、2021年迄の20数年間、ほぼ横這いで推移してきた。その結果、人々の間には「物価は上がらないもの」という「ノルム」が定着してしまった。黒田日銀の10年間(2013~23年)、政府と日銀は物価安定の目標を2%と定めて宣言したが、それでも人々の予想物価上昇率はゼロ%台から動かなかった。
 従って、植田日銀は2022年から始まった世界インフレに伴う日本の輸入物価の急上昇を、長らく続いた「ゼロ・インフレのノルム」を破壊する好機と見たのではないだろうか。円ベースの輸入物価指数の前年比は22年7月に+49.2%のピークに達し、CPIの前年比は23年1月に+4.3%のピークに達した。
 これに伴い、国民の予想物価上昇率と賃金上昇率は次第に上昇し、本年の春闘を迎えた。答えは数か月後には出てくるであろう。

【新型トリレンマ脱却の道は利上げしかないが・・・】
 輸入物価の上昇を奇禍として、植田日銀は人々の予想物価上昇率と賃上げ率を引き上げ、23年度中の消費者物価上昇率(24年3月の前年比)を+2.7%とすることに成功した。しかし、これに伴う実質所得の下落(インフレのデフレ効果)から、23年度中の国内民間支出は減少し(民間消費-1.9%、民間住宅投資-3.1%、民間設備投資-1.0%)、実質GDPはマイナス成長となり、対ドル円相場の円安は進んだ。デフレから脱却しても、日本国民の経済的福祉は低下している。
 日本が陥った新型トリレンマから脱出する道は、その根本原因である低金利政策への固執から早く脱出することである。
 幸い、本年4~6月期以降の日本経済は、設備投資主導型で回復する条件がある。本年の大幅賃上げの影響で、夏場には実質個人所得もプラスに転じてくる。この機を逃さず、超低金利の政策的修正を進めてマイナス成長と円安から脱出することが期待される。インフレ率も、円安修正につれて更に下がってこよう。