「出口政策」の道筋を考える
― マネーストック重視の視点 ―(H30.11.8)

【日銀も批判派もインフレ予想を間違えた】
 黒田総裁は異次元金融緩和がスタートする時(13年4月)、「2年でマネタリーベースを2倍にすれば消費者物価上昇率の前年比は2%を超える」と言ったが、6年も経った今日、マネタリーベースは3・5倍に達したが、消費者物価の前年比は1%前後だ。
 異次元金融緩和を批判した人々(例えば野口悠紀雄、伊東光晴など)も、こんなにマネタリーベースを増やせば、やがて大インフレとバブルの発生を招いて金融政策は挫折すると主張したが、6年経った今日、インフレもバブルも発生せず、日本経済は順調な成長を続けている。
【双方共にマネーストックを忘れている】
 何故双方共に間違えたのか。
 日銀は18年7月の「経済・物価情勢の展望」(通称「展望レポート」)で、価格が上がりにくい事情を企業と家計の行動に則して分析しているが、「個別価格」を巡るミクロの行動は価格体系の変化を説明する理由にはなっても、必ずしも「物価」というマクロ指標の変動を説明する理由にはならない。一つの個別価格が下落すればその分実質購買力が増えて他の個別価格が上昇するかも知れないからだ。
 「個別価格」の総平均である「物価」の説明には、マクロ的購買力全体の指標である「マネーストック」の動向を見なければならない。
 72~74年の大インフレ(過剰流動性インフレ)も、87~90年のバブル発生も、いずれもマネーストックの急膨張が原因であった。ところが今回は、異次元金融緩和後の13~18年の6年間、マネタリーベースは3・5倍に達したが、マネーストック(M3)の前年比増加率は、一貫して3%前後で落ち着いている。
【異次元金融緩和が作り出したイールドカーブがマネーストックと物価の伸びを抑えている】
 日銀も反対派も、マネタリーベースが増えればマネーストックも増えて物価が上がるという「ナイーブな通貨数量説」に立っていたのではないか。
 しかし実際には、異次元金融緩和の6年間、マネタリーベースの不活動残高ばかりが増えて、マネーストックを増やす貸出・有価証券投資の伸びは高まらなかった。これは、資産の一般均衡理論から考えて、当然の帰結である。異次元金融緩和政策によって、マネタリーベースの不活動残高を保有した時の機会費用は「損」(コールローンや貸出・有価証券に運用した場合に得られる金利収入の放棄)から「益」(日銀預金に預けた場合の金利収入、コールローンに運用しない場合のマイナスのコールローン金利の回避)に変わり、マネタリーベースに対する選好は強まった。反面で金利がマイナスとなったコールローンと金利が著しく低下した貸出・有価証券投資に対する選好は弱まった。
【異次元金融緩和の功(景気回復)と罪(金融システム・リスク)】
 しかし結果的に見ると、この3%前後のマネーストックの増加率とその結果である1%前後の消費者物価上昇率の下で、雇用と企業収益は回復し、順調な経済成長が続いている。つまり金融政策の「最終目標」である雇用や生産などの回復は立派に達成された。2%超の物価目標という「手段」は「目的」が達成された現在、無用の長物であり、政府・日銀の「デフレ収束宣言」で棚上げにしたらよい。
 1%弱の潜在成長率の下で、13~17年度の平均1・3%の実質成長率を実現するために、異次元金融緩和のマイナスの短期金利とゼロ%程度の長期金利という低金利が一定の役割を果たしたことは間違いないが、今やその副作用が強まっている。
 前述した貸出・有価証券投資への選好の低下は、金融仲介機能の衰弱にほかならず、より一般的にいって金融機関は低い長短金利から成るフラットなイールドカーブの下で収益が圧迫され、経営が悪化している。大量の日銀買オペは市場を「官製化」し、コール市場の縮小、債券市場の流動性低下と需給調整機能の低下、債券市場と株式市場の価格発見機能の不安が起こっている。将来の長期金利上昇時の金融機関の損失リスクも深刻だ。日銀のバランスシートの不健全化と政府の財政規律の弛緩もある。
【深刻化する副作用からの「出口」】
 現在の順調な経済成長を維持しながら、これらの副作用を修正するのが、直面する「出口政策」の課題である。
 金融機関の経営改善・収益回復・金融仲介機能回復のためには、コールレート(短期金利の基準)をマイナスからプラスに戻し、日銀預金の付利をやめ、10年物国債の市場利回り(長期金利の基準)をゼロ%程度から1%を上回るプラスに戻し、それによってイールドカーブ(金利の期間構造)の水準を上げ、右上がりの傾斜を強め(フラット化を弱め)なければならない。これによってマネタリーベースの選好は弱まり、コールローンの選好はやや強まり、貸出・有価証券投資の選好は最も強まって、マネーストックの伸びが高まる。
 コールレートのプラス化と日銀預金の付利中止はコール市場を活性化する。国債の市場利回りを高める日銀の国債買オペの縮小・中止(計画に沿ったテイパリング)は、官製化した債券市場・株式市場の市場機能を復活し、強化する。そのあと、日銀の保有国債残高を売オペではなく、償還期日到来で自然に減少させる。テイパリングも保有国債減少も予定を事前に公表し、市場から見た透明性と予見可能性を高め、混乱を防ぐ必要がある。万一思わぬ長期金利急騰が生じた場合には、一時中止する用心深さが必要である。
【金利上昇の影響を相殺するマネーストックの増加―鍵は「リバース金利」の是正】
 「出口政策」のもう一つの課題は、今述べた副作用対策に伴う金利水準の上昇が、現在の順調な成長持続を妨げないようにする配慮だ。そのためには、金利体系(イールドカーブ)是正に伴う資産選択の変化がマネーストックの増加率を高めることを明示的な目標(マネタリー・ターゲット)とし、徐々に実現していくことだ。昔の「マネーサプライ重視政策」のような柔軟なアプローチで良い。副作用対策が同時にマネーストックの増加率を高めて金利上昇の影響を相殺するので、この「出口政策」は「引締め」ではないことを市場に知らせることが大切である。
 何故金利上昇とマネーストック増加という逆方向の対策が同時に可能なのか。それは現状の行き過ぎた金利低下(短期はマイナス、長期はゼロ程度)が、マネーストックを増やす銀行の資産選択行動を妨げる「リバース金利」となっているからだ。この「リバース金利」の領域から金利を引き戻す利上げは、マネーストックの増加を促す。
【中期的には若干の引締めの「のりしろ」】
 利上げとマネーストック増加を組み合わせた金融政策の枠組みは、中期的な金融政策の在り方としても意味がある。来年、国内では消費増税とオリンピック需要の一巡から成長が鈍化し、海外では米国の長期好況が峠を迎える可能性がある。万一景気刺激の必要が生じた場合、現在の異次元金融緩和の枠組みのままでは、副作用を更に強めるマイナス金利の深掘りと国債買オペの拡大しか手はない。それも、景気刺激効果があるのかどうか疑わしい。むしろ副作用で金融システム・リスクを発生させる危険性さえある。
 いま利上げを実施し、マネタリー・ターゲット政策に入っておけば、先行き景気後退のリスクが出て来た時に、利下げとマネタリー・ターゲットの上方修正という緩和の「のりしろ」が確保できる。それで十分かどうか分からないが、無いよりましだろう。中期的展望に立っても、いま「出口政策」に入ることは望ましいのである。