異次元的金融緩和の効果を巡る野口悠紀雄教授と浜田宏一教授の対決(H27.2.23)

【野口悠紀雄著『金融政策の死』対浜田宏一ほか著『世界が日本経済をうらやむ日』】
 13年4月に黒田日銀の「異次元金融緩和」が始まってやがて2年を経過しようとしているが、最近その効果を巡って正反対の評価を下す2冊の注目すべき本が出た。野口悠紀雄著『金融政策の死』(日本経済新聞社、2014年12月刊)と浜田宏一・安達誠司著『世界が日本経済をうらやむ日』(幻冬舎、2015年1月刊)である。
 後者は共著であるが、第7章の共著者2人の対談を除くと、浜田(以下、人物の敬称略)の一人称で書かれているし、とくに第2~6章と終章は明らかに浜田の筆致と認められるので、この本は浜田の見解と見てよいであろう。

【野口は異次元金融緩和は「空回り」している「ニセ薬」と主張】
 野口はこの著書の中で、次のように述べている。「日銀が国債を大量に買い上げるため、日銀当座預金が増え、マネタリ―ベースは増える。しかしそこで止まってしまい、貸出が増えるという動きが生じていない。このため、マネーストックはほとんど増えない。つまり金融緩和政策は「空回り」しているわけである。
 多くの人は「金融緩和政策が実行されたために、日本経済は好転しつつある」と思っている。しかし、金融政策が実体経済に影響している事実は、全くない。そもそも、金融政策が効果を発揮するための大前提である貸出の増加が、生じていないからだ。
 多くの人に「金融緩和政策が実行されたために、日本経済が好転しつつある」と思わせたという意味で、異次元緩和措置は「ニセ薬」(Placebo)としての効果は持った。しかし、それ以上の効果は発揮できなかったのである」(156~157頁)。

【13~14年の銀行貸出とマネーストックの伸びがあまり高まっていないのは事実】
 野口の言うように、異次元金融緩和によって13年と14年のベースマネーは著増しているが、そのほとんどは日銀当座預金に溜まり、銀行貸出の前年比は12年の1%弱から13~14年の2%台前半に高まったに過ぎない。
 その結果マネーストックの前年比は、M2が2%台中頃から13~14年の3%台中頃へ、M3が12年の2%台前半から13~14年の3%台弱に高まったに過ぎない。


【浜田は企業が溜め込んだフリーキャッシュフローを使っている段階で、これがつきれば銀行貸出が増え始めると主張】
 浜田は、銀行貸出とマネーストックの伸びがいまのところあまり高まっていないことは承知の上で、次のように説明している。
 「「銀行の貸出の増加」は、リフレ政策の(効果)波及経路にとっては、ほんの一部に過ぎない」。「マクロ経済学の教科書にはまだ書かれていないが、「景気が回復し始める段階で企業が投資活動を進める場合、利払いが必要になる借入ではなく、自社に蓄えたフリーキャッシュフローを取り崩すところから始まる」。「銀行の貸出が本格的に増え始めるのはいつかといえば、それは企業がフリーキャッシュフローを使い続け、それが底をつき始めた時である。その段階で企業が新たに設備投資をしようとすれば、銀行などから資金を借り入れざるを得なくなるだろう。その時に、銀行貸出は本格的な増加に転じ始め(中略)、金利は上がり始める」(145~146頁)。

【浜田の主張に統計的裏付けが欲しい】
 この浜田の主張は、極めて興味深い指摘といえよう。しかし、統計的裏付けがないのが惜しまれる。
 念のため、日銀「資金循環勘定」の「金融資産・負債残高表」によって、「非金融法人企業」部門の資産側の「現金・預金」(マネーストックに相当)と、「株式以外の証券」(広義流動性の一部)、および負債側の「民間金融機関借入金」の動きを見てみよう。フリーキャッシュフローが入っていると思われる「株式以外の証券」は一貫して減少し、「現金・預金」は増えている。また「借入金」の増え方は小さい。これを見る限り、フリーキャッシュフローを取り崩しているようにも見えるが、取り崩しが12年から始まっているのは妙である。また、「現金・預金」や「借入金」が200兆円台であるのに対し、「株式以外の証券」は30兆円台なので、これでフリーキャッシュフローの動きを全部とらえているとは思えない。
 マクロ統計であるマネーストックと広義流動性を対比してみると、14年中の広義流動性の伸びが落ちているため、取り崩しが進んでいるようにも見えるが、マネーストックも同じように伸び率が落ちているので、フリーキャッシュフロー取り崩しの証拠とはいえない。


【野口はデフレが経済を停滞させ、インフレが経済を活性化させるという考えは誤りと主張】
 野口は著書の中で強調しているのは、「デフレが経済活動を沈滞させるという考えは誤り」ということだ。
 「この考えは、名目金利がインフレ率の変化に応じて変化すること(フィッシャー効果)を無視した考えなのである。インフレ率の変化は名目金利を変化させ、その結果「いつ支出するか」という決定には影響が及ばない。このため「デフレなら支出を延期する」とか「インフレなら買い急ぐ」ということにはならないのだ。
 日本のマクロ経済政策は、「デフレからの脱却が経済活動を活性化させる」という誤った考えに立脚しているという意味で、基本的に誤りだ。「消費者物価上昇率を2%にする」という類の目標は、ナンセンスであるばかりか、有害でもある」(16頁)。

【浜田はデフレ予想やインフレ予想は実質金利の変化を通じて経済活動に響くと主張】
 これに対して浜田は、人々が「デフレ予想」や「インフレ予想」を持った時、名目金利がフィッシャー効果で予想インフレ率だけ動き、実質金利は一定であるとは考えていない。「デフレ予想」を持てば、将来の価格は下がると思うので買い控え、「インフレ予想」を持てば将来の価格が上がると思うので買い急ぐという考え方が著書の中で一貫している。つまり、名目金利は動かず、予想インフレ率の変化だけ実質金利(名目金利-予想インフレ率)が変化し、買い控えや買い急ぎという景気変動を起こすというのである。
 この点は、フィッシャー効果が即時的なら野口が正しいし、遅れがあれば浜田が正しい。現在の日本を見ると、予想インフレ率は大なり小なり上がっている筈なのに、名目金利に上昇の気配はないので、浜田に歩があるように見える。しかし、異次元金融緩和で日本銀行が大量に国債を買い上げているため、国債流通市場に「玉(ギョク)」が不足し、市場の流動性が低下しているためだとすれば、「金融抑圧」「人為的低金利政策」に近い状況ということになるので、望ましいことではない。

【野口は財政ファイナンスが真の狙いと主張】
 野口は、異次元金融緩和に景気刺激の効果がないにも拘らず、政府、日銀がこの政策を実行している真の理由は、年間の新規国債増発額(借換分を除く新規分が14年度に41.3兆円)の2倍に近い80兆円を日本銀行が1年間に買い上げることによって、「財政ファイナンス=国債のマネターゼーション」を行うことにあると見ている。そしてこれは、国債の日銀引受を禁じた財政法第5条の脱法行為だと断じている。

【野口は円安は外資のリスクオンの結果、浜田は異次元金融緩和の結果と主張】
 浜田は、「インフレ予想」を喚起するルート以外にも、異次元金融緩和の効果波及経路を指摘している。それは円安による輸出伸長と株高による消費、投資の刺激である。
 野口は12年10月中旬から始まった今回の円安の流れは、ユーロ危機が一服してリスクオンとなり、国際資金が円から離れたためであり、12月に成立した安倍政権の政策の結果ではないと主張している。
 しかし、この主張には無理があるのではないか。浜田は、リスクオンが理由なら、円と同じ立場のスイス・フランでも同じことが起こる筈なのに、「大幅なスイス・フラン安など生じなかった」(130頁)と指摘している。10月中の円安にはユーロ危機一服の影響が多少はあったとしても、安倍晋三は9月26日の総裁選の段階からアベノミクスを主張して勝利したし、11月の総選挙では「大胆な金融緩和」を声高に叫んでいた。また2%のインフレ目標を掲げた13年1月の政府・日銀の共同声明後にも、明らかに円安は進んだ。12年10月から13年5月までの急激な円安は、まぎれもなく予想段階からの異次元金融緩和の影響であった。また円安が一服していた14年10月31日に打ち出された異次元金融緩和の第2弾が、その後今日までのいま一段の円安を招いたことは否定のしようがない。

【浜田は株高が「トービンのq」を上昇させ、投資を刺激するルートにも言及】
 株高が異次元金融緩和の影響であることは、野口もさすがに否定していないが、その景気刺激効果について、浜田は一般的な「資産効果(cash balance effect)」による消費や投資などの支出拡大のほか、J.トービンの「資産の一般均衡アプローチ(エール・アプローチ)」にも言及している。浜田もイエレン(FRB議長)もトービンの愛弟子であることと併せて興味深い。
 「トービンのq」と言うのは「株式の時価総額」を「実物資産の価値(企業の再取得価格)」で除した(割った)値で、これが1を上回れば新株を発行して設備投資をすれば儲かる理屈になる。日本の株高は「トービンのq」を上昇させ、設備投資を刺激すると浜田は考えている。
 このほか浜田は、第6章(160~190頁)を通貨の役割(経済効果)に関する経済学史にあて、経済が常に均衡しているという前提立つ「マクロ合理的期待仮説」や「Real Business Cycle Model」などが「金融政策は効かない」という結論を出したことが若い経済学徒に大きな害毒を流したと書いているのは、興味深い。

【野口も浜田も実体経済面の構造改革の重要性に言及】
 将来のリスクについて、野口は「インフレと資本逃避をもたらす可能性が強く、危険なものだ」(240頁)としているが、現在日銀当座預金に溜まっている巨額のベースマネーが、何故大量の日銀券として流出して来るのか、その転換メカニズムの説明が説得的ではない。日銀当座預金に溜まっているので、銀行貸出もマネーストックも増えず、政策は「空回り」していると強く主張していることとのつながりが見えない。
 浜田の将来展望は、異次元金融緩和の効果に関する限り楽観的である。心配は財務省を中核とし、財界、言論界に広がる「財政再建至上主義者」が、財政再建の基本は持続的成長を実現して「税収」を増やすことにあることを忘れ(無視し)、「税率」を上げることに狂弄していることである。
 野口も浜田も、根本的対策は、日本経済の構造改革にある点では一致している。野口は「根本的な解決は、日本産業の生産性を上げること」(251頁)と言い、浜田は成長戦略の4つの柱として、「規制緩和、女性の活用、TPPの推進、大幅な法人税減税の実施」(234~235頁)を挙げている。