円高で周章狼狽するな
―生活重視、内需主導に転換する好機(H20.10.27)
【「株安で円高」の方が「株安で円安」よりも危機は浅い】
「株安の上に円高なので、“泣きっ面に蜂”だ」という意味の解説が、新聞やTVで毎日のように繰り返されている。しかし、これ程ミス・リーディングな解説はない。
それでは「株安で円安」の方が増しなのか?
「株安で円安」ならば、日本株を売って得た資金が海外に逃げ出しているということで、将に「日本売り」という大きな危機である。日本企業の市場価値は、国際比較上、株安と円安のダブル・パンチで下落していることになる。底値まで下落したところで、優良企業は安値で海外資本に買収されるリスクが高まるであろう。「株安で円安」とは、このような日本経済の大ピンチの姿を示している。
いま、「株安で自国通貨安」なのは、米国とEUなど日本以外の先進国と、韓国、アイスランドなど一部の新興国だ。これらの国々は、将に大ピンチである。
【「株安で円高」は資金が日本から逃げていない証拠】
それでは、「株安で円高」の日本はどうか。
日本の金融機関は、米国や EUに比べれば、サブプライム・ローンなどの証券化商品やフューチャーズ、スワップなどの派生商品を持っていないので、これらの金融商品の急激な値下がりによる今回の痛手は小さい。また、アイスランドや韓国のように逃げ足の早い外資に大きく依存していることはないので、通貨不安もない。従って、日本の金融システムは欧米や一部の新興国よりも安定している。
しかし、欧米の金融危機で欧米の株価が急落すれば、グローバルに活動する投資銀行、ファンドなどは、欧米の株価値下がりによる損失や流動性不足を埋めるため、日本株の利喰い売りをする。このため、日本を含む世界同時株安となるのである。
従って、たとえ日本の金融システムに欧米のような問題は無くても、日本の株価が金融システム危機の欧米の株価と一緒に下がるのは、グローバル経済の宿命である。
【世界の金融危機の中で日本円の地位が相対的に上昇】
しかし、そのようなグローバルに活動する金融機関も、日本に欧米のような深刻な金融危機が存在していないことは承知しているから、売った後の流動性資金は、欧米よりも安全な金融システムを持った日本の通貨で持つ傾向を強めている。
このため、日米欧の同時株安の中で、日本の円が、米ドル、ユーロ、ポンド、スイス・フラン、豪ドル、加ドルなどに対し、円高になっているのである。
円はまた中国の人民元などに対しても円高になっている。中国の金融システムに不安があるというよりも、中国の金融システムにはまだ規制が多く残っていて、人民元は国際通貨として使い勝手が悪い。グローバルな金融機関は、国際通貨として、人民元よりも日本円を選好しているのである。
このように、同時株安の中の円高は、日本円が国際通貨としての地位を高めているという、望ましい動きである。
【実力を反映した円高傾向は日本経済に有利】
このように、「株安で円安」よりも「株安で円高」の方が遥かに増しであるが、最近のような急激な円高は、輸出企業の採算を狂わせるので確かに望ましくない。
しかし、日本経済の実力を反映した緩やかな円高傾向であれば、決して悪いことではない。
円高が不利に働くのは輸出企業であるが、中期的にはグローバルに展開した工場の生産シフトや輸入原料・部品と輸出製品とのバランスをとることなどによって一定の対応は出来るし、これまでにもして来た。
他方、円高が有利なのは輸入原材料を使って製造した製品・準備したサービスを国内に売る企業、輸入品を国内に売る流通業、輸入品を買ったり海外旅行をしたりする消費者である。
日本の就業者のうち、製造業で働く者の比率は18%にすぎず、その製品の中の一部が輸出され、多くは国内に販売される。残りの82%の就業者は、円高が有利な産業で働いている。また就業者はすべて消費者であり、円高が有利だ。
このように見てくると、円高が不利に働くのは日本経済の一部であり、大部分は円高の方が有利であることが分かる。
【過去には円高傾向と持続的景気上昇は両立している】
過去を振り返ってみても、急激な円高は輸出を減少させ、日本経済を一時的な不況に陥れたこともあったが、その後は緩やかな円高傾向の中で日本経済は内需中心に順調な発展を遂げている。
71年8月のニクソン・ショックと73年2月の変動為替相場移行によって、戦後の固定為替相場制が崩れ、円は大幅な円高となったが、この時は、73年秋以降の第1次石油ショックによって74年度にマイナス成長となるまで、景気はむしろ大インフレを起こす程強かった。
その後、第2次石油ショック(80年)やバブル経済(87〜90年度)の過程で、円相場は変動を繰り返しながらも95年頃まで一層の円高傾向を辿ったが(下のグラフ参照)、その間の日本の経済成長率は、93年頃までOECD加盟国の平均を上回っていた。
その後、日本の経済成長率はOECD加盟国の平均成長率を下回ってしまうのであるが、この間の為替相場との関係を、下のグラフで確認してみると、次のようになる。
【円安で景気回復が持続した02〜07年はむしろ例外】
まず円高が大きく進んだのは、91〜96年であるが、この時期の日本経済は、94〜96年度(平均+2.8%成長)にバブル崩壊後初の景気回復を、内需主導型で実現した。この大幅な円高傾向は、むしろ内需企業や消費者に有利に働き、3年間の持続的回復を実現したのである。
次に円高傾向が進んだ時期は、グラフに見るようにITブームの98〜00年であるが、この時も98年度−1.0%成長、99年度+0.9%成長、00年度+3.1%成長、01年度−1.2%成長と、むしろ円高期に成長率が高まっている。
以上の二つの時期は、円高が大きく進んだにも拘らず、景気はむしろ良くなった。
逆に、円安傾向が大きく進んで景気が良くなった例は、最近までの02〜07年の輸出主導型景気である。前掲のグラフを見れば分かるように、円の実質実効レートは、プラザ合意前の85年の水準まで円安になってしまった。このため、極端に輸出に偏り、内需の沈滞した景気パターンとなった。
【円安と国際商品市況の高騰で交易損失が拡大し実質国民総所得は減少】
この極端な円安は、超低金利の日本で資金を調達し、海外の証券化商品や派生商品に投資する円キャリ取引の盛行と共に進んだ。
その円キャリ取引が、今回の金融危機(証券化商品や派生商品の値下がり)で逆転し、いわば「円安バブル」が崩壊して正常な円の水準に向かって、円高傾向が始まっている。金融システムに不安のある欧米から、金融システムに比較的不安の少ない日本への資金の流れであり、株安なのに円高を生んでいる。
01〜07年の大幅な円安傾向は、日本製品の安値販売で輸出を伸ばすことは出来たが、石油、穀物、鉱石類など国際商品市況の高騰と重なって、外国品を高く買い、国産品を安く売ることとなり、交易損失を拡大して日本の実質総所得を減らした。
下の図は、それを示したもので、交易利得が大きなマイナスとなり(交易損失が発生し)、08年に入るとGDP(実質国内総生産)の増加を上回るに至ったため、GDI(実質国民総所得)の増加がマイナス(減少)となってしまった。
【交易利得の拡大は、消費者・内需企業中心の景気回復を図る好機】
石油を始めとする国際商品市況は、今回の金融危機に伴う世界経済の成長減速、あるいは景気後退によって、当分下落を続けるであろう。また比較的安定した金融システムを持った日本円は、「円安バブル」の崩壊過程と重なって当分円高傾向を続けるであろう。
この二つが重なって利益を得る内需企業の収益回復と消費者の実質所得の回復が、これからの景気回復をリードすることと期待されるし、そうしなければならない。
それを促進するためには、ガソリン税の暫定税率廃止、高速道路無料化、出産・子育て支援、教育無償化、社会保険料の引き上げ中止など、家計と内需企業を支援する景気対策の一刻も早い実施が望まれる。
YouTube鈴木淑夫のインタビュー“円高で狼狽するなニッポン 1ドル80円台の日本経済”参照