今回の金融危機の本質、政策上の問題点、および日本経済への影響
―本年第4回昼食勉強会の討論を踏まえて(H20.10.15)
10月14日(火)正午より、学士会館において、鈴木政経フォーラムの本年第4回目の昼食勉強会が開かれ、前日本銀行副総裁の岩田一政氏をゲストに迎え、今回の米国発の金融危機について、講師の鈴木淑夫とディベートを行った。
以下は、そのディベートの結果を踏まえて、鈴木淑夫がとりまとめた金融危機の本質、政策上の問題点、および日本経済への影響である。
1.サブプライム・ローン問題の発生と証券化商品市場の混乱、金融市場の流動性不足(昨年7月末以降)
【住宅ローン拡大→住宅投資増加→住宅価格上昇→住宅再投資と個人消費の拡大→持続的成長、の好循環】
昨年7月末、サブプライム・ローンの回収困難に伴うサブプライム・ローン証券化商品の急落が始まった時、サブプライム・ローンは住宅ローン全体の20%にも満たないので、影響は限定的だという意見が聞かれた。しかし、これは問題の本質を全く見誤った皮相な意見であることが、やがて明らかとなった。
米国の住宅価格は、S&Pケース・シラー住宅価格指数(主要10都市)で見て、06年までに、94年比で2.99倍、01年比で2.26倍も上昇していた。人々は住宅ローンを組んで住宅を購入すれば、住宅の値上がりでローンの返済は容易である上、評価益も残る。その評価益で消費を拡大してもよいし、実際に住宅を売却してローンを返済し、値上がり益を加えて更に高額な住宅をローンで購入してもよい。こうした循環買いの中で、住宅価格の上昇は更に続く。
これが住宅投資と個人消費の拡大に支えられ、90年代から2000年代にまで続いた長期成長の好循環であり、それを支えたのが住宅ローンの拡大である。
【住宅バブルの崩壊、好循環の逆転】
この長期繁栄の中で、ブッシュ政権は、低所得層にもその恩恵が及ぶようにという政治的判断から、サブプライム・ローンを推奨した。住宅ローンを返済する資力の無い低所得層にも、購入した住宅の値上がりで返済できるようになるという計画を前提に、住宅ローンを組むことを奨励し、銀行もその掛け声に乗って貸し込んだのである。
しかし、住宅価格は将来利益の割引現在価格(均衡価格)を超えて上昇し(バブルの発生)、06年になって遂に上昇が止まった。そうなると、所得で住宅ローンを返済出来ない人は我先にと住宅を売却してローンを返済しようとするため、住宅価格は急落する(バブルの崩壊)。先の住宅価格指数で見て、06年のピークから08年7月までに21%も下落して、まだ下がり続けている。
こうなると、サブプライム・ローンを受けていた低所得層は、住宅を売却してもローンを全額返済できず、もともと所得水準は低いので他に返済資金もない。こうしてサブプライム・ローンの焦げ付きが急速に広がり始めた。
【景気後退による住宅ローン全般の焦げ付き、回収率低下】
しかし、問題はサブプライム・ローンだけではない。返済能力のある所得層も、住宅価格の値下がりによる評価損が出てくるので、複数の住宅を持っている人は住宅を売り急ぐ。これが更に住宅価格の値下がりを加速する。
こうなると、住宅ローンで住宅を購入しようという「住宅投資」は減少するし、住宅の値上がり益を当て込んで「個人消費」を増やすことは出来ず、消費は冷え込む。
05年に年間206.8万戸に達していた新設住宅着工戸数は、08年8月には年率89.5万戸にまで落ち込んでいる。08年9月の乗用車新車販売台数は96.5万台と前年水準を−26.6%下回り、17年振りの低水準に落ち込んでいる。
こうして、「住宅投資」と「個人消費」に支えられた景気が後退局面に入って来ると、失業は増え、賃金はカットされるので、住宅ローン全体の焦げ付きが益々増え、回収率が下がる。
【銀行はBIS規制を守るために住宅ローンを証券化して売却】
しかし、この住宅ローンの多くは証券化され、資本市場に売却されているので、融資を行った銀行のバランス・シートには残っていない(オフ・バランスシート化)。住宅ローンの証券化商品を購入したのは、主として欧米の(一部はアジアや中東の)投資銀行、証券会社、各種のファンド、生保など資本市場のプレイヤー達であり、その購入資金の一部は銀行からも融資されている。
つまり銀行は、BISの自己資本比率規制を守るため、住宅ローンを証券化して売却し、資産を圧縮しているが、その資産はBIS規制の対象外である資本市場のプレイヤー達が、いわば“shadow
banking system”を構成して保有していたのである。
【証券化商品のリスクの性質と所在が不明確、市場は価格発見能力を喪失】
しかも、悪いことには、このプレイヤー達は、住宅ローンの証券化商品だけではなく、不動産など様々の資産の証券化商品を保有し、更に先物(フューチャー)やスワップなどを駆使した派生商品(デリバティブス)を保有している。しかも、これらの商品を組み合わせた商品を投資信託などとして売り出している。しかもその際、証拠金取引などを利用したレバレッジを効かせ、当初資産の何倍もの資産として売却している。
こうなると、売り出された金融商品の中に何がどのくらい組み込まれており、全体としてのリスクがどのくらい含まれているかが、投資家には分からなくなる。その結果、格付会社のレイティング(格付)を頼りにするほかはないが、このレイティングが不正確で、それに基づく金融商品のプライシングも信用の置けないものになっていた。
つまり、売買されている金融商品が含むリスクの性質と所在が不透明になり、証券化商品市場の価格発見能力が喪失されていたのである。
【証券化商品の一般的値下がりと金融市場の流動性危機】
そうような時に、サブプライム・ローンの証券化商品が急激な値下がりを始め、ローンの回収不能で価格がゼロのものまで出てきたのである。しかし、どの金融商品にどのサブプライム・ローンの証券化商品がどの程度含まれており、その回収不能リスクがどの程度かが分からない。人々は疑心暗鬼に陥り、すべての証券化商品を敬遠し始めたので、証券化商品一般が値下がりを始めた。
そうなると、証券化商品に投資していた投資銀行、証券会社、生保、各種のファンドなどの資産は一斉に減価してくるので、債務超過で倒産するのではないかという疑心暗鬼が市場に生まれる。このため、これらの資本市場のプレイヤー達は、金融市場で短期資金を調達しようとしても、貸してもらえなくなったり、一般の金利以上のプレミアムを払わないと借りられない状態になってきた。日本でも、外資系の金融機関はプレミアムを払わなければ短期金融市場で資金調達が出来なくなった。
このような金融市場の流動性不足によって金融機関の「資金繰り倒産」が起こらないよう、先進国の中央銀行は、日本銀行を含め、連日金融市場に巨額の流動性を買オペを通じて供給している。日本銀行はドル資金の不足している外資系金融機関に対し、買オペで円資金のみならずドル資金まで供給し、外銀プレミアムの縮小を図っている。
2.資本市場のプレイヤー達の倒産による「市場型システミック・リスク」の表面化(本年9月以降)
【巨大証券、巨大生保、巨大住宅公社の「solvency」危機】
以上は、資本市場のプレイヤー達が「流動性の危機」に陥っているという話である。しかし、現実は更に進み、資産の減価が、自己資金以上に膨らみ、債務超過に陥って倒産するという「solvencyの危機」の段階に到達した。
米国第5位の証券会社ベア・スターンズは、債務超過に陥り、FRBから特別融資を受けた上でJPモルガン&チェイス銀行に買収された。第3位の証券会社メリル・リンチも債務超過に陥り、バンク・オブ・アメリカに買収された。第2位のモルガン・スタンレーは、銀行持株会社に変身し(証券会社から銀行に変わり)、日本の東京三菱銀行から増資の支援を受けて自力でsolvencyの回復を図っている。第1位のゴールドマン・サックスも、銀行持株会社に変わって自力再建中である。
債務超過に陥った巨大な生保グループAIGは、政府から公的資金の投入を受け、倒産を免れた。住宅ローン債権の保証業務を行っている2大住宅公社、ファニー・メイとフレディ・マークも、債務超過に陥ったが、政府から巨額の公的資金の支援を受け、破綻を回避した。
【米国政府の「ダブル・スタンダード」「基準不明確」】
そのような中で、第4位の証券会社であるリーマン・ブラザーズが、政府からも民間からも資金援助を受けることが出来ず、債務超過で倒産した。
市場関係者は、AIG、2大住宅公社、第5位のベア・スターンズの債務超過に対して、政府が公的資金を投入して倒産を防いだので、「巨大な金融機関の倒産は支払不能の連鎖を生み、債務超過ではない金融機関を巻き込んだ連鎖倒産で金融システムを危険に陥れる恐れがある」(too
big to fail)との理由で、公的支援を行うものと考えていた。
ところが、第5位のベア・スターンズを援けて、第4位のリーマン・ブラザーズを見殺しにしたため、政府は「ダブル・スタンダード」だ、「基準不明確」だとして、市場は政府に対して不信感をつのらせた。これが本年9月に始まった株価暴落の切っ掛けである。
【G7とその後の主要国の対応で株価は一先ず下げ止まり】
その後米国政府は、7000億ドルの公的支援を含む金融安定化法案を議会に提出したが、血税をウォール街の巨大金融機関の支援に使うことに反感を持つ国民感情を背景に、一部の共和党議員が反対したため、下院で1回否決された。これも株価暴落を拍車した。
結局、預金保険の対象拡大などの修正を行って金融安定化法案は可決、成立したが、今度は7000億ドル投入の具体的基準が決まっていないとして、10月10日(金)まで、世界の株価は同時暴落を続けた。
そして、週末にG7が開かれ、「システム危機を起こし兼ねない重大な金融機関に対しては、公的資本の注入を含む、あらゆる公的資金援助を惜しまない」という原則が確認され、その後米国、EU、英国、ドイツ、フランスなどでその具体策が公表された。
ここに至って、米国政府の対応の遅れと不明確さに基づく世界的な株価の暴落は一先ず収まり、13日(月)から各国の株価は一定の反発を示した。
【米国の住宅価格の下げ止まりは2年後か】
しかし、金融危機への政策対応は整ってきたが、金融危機が引き起こす実体経済の景気後退と、その株価への影響はこれからである。
米国では、前述したような住宅投資と個人投資の落ち込みで、7〜9月期以降、成長は一段と減速して、マイナス成長の四半期が出てくるであろう。
米国の景気後退は、住宅価格が下げ止まらない限り、止まらないと思われるが、前述した住宅価格指数の先物価格の動きを見ると、市場では2年後の10年まであと15%ほど値下がりして下げ止まり、反発に転じるのは11年からと見ている。
米国の景気後退に伴う世界貿易の鈍化は、日本を始めとする各国に影響を及ぼし、程度の差はあれ、成長減速や景気後退の引き金となるであろう。
【世界的インフレ・リスクは低下、日本の交易条件は好転】
今回の金融危機発生以前は、世界は国際商品市場の高騰によるインフレのリスクにさらされていたが、金融危機に伴う世界経済の成長減速は、このインフレ・リスクを後退させることとなろう。石油をはじめとする国際商品市況は当分下落するからである。
このため、各国は思い切った国内需要の刺激策に転じることが出来るであろう。これが、世界的な成長減速に、一定の歯止めを掛けると期待される。
世界の金利水準は下がり、下げ余地のほとんどない日本の金利との関係では日本の内外金利差が縮小し、一定の円高圧力が働くであろう。
しかし、国際商品市況の値下がりと円高は、21世紀に入って以来日本を悩ませてきた交易条件の悪化を反転させ、好転に導く。これは日本の企業収益(とくに国内企業)と家計の実質所得には有利に働く。極端な輸出依存に偏った日本経済を、内需中心、国民生活中心に改める好機の到来とも言えよう。
3.米国の金融政策と世界のプルーデンス(信用秩序維持)政策の問題点
【住宅バブルを発生させた米国金融政策の失敗】
今回の金融危機とこれから深刻化する米欧日などの景気後退を踏まえて、反省すべき政策上の問題点は多いが、ここでは大きな点を二つ指摘したい。
第一は、住宅バブルを放置した米国金融政策の失敗である。住宅価格が10年以上も上昇を続け、3倍に達するのをFRBは経済発展の当然の帰結と見ていた。これはバブルではないかと言う一部の指摘に対し、FRBはグリーンスパン議長を始めとして否定し続けた。06年から07年にかけて、ようやくフェデラル・ファンド・レートを5.25%まで引き上げ、緩やかな成長減速をもたらし、06年中に住宅価格をピーク・アウトさせたが、「時既に遅し」である。
米国の金融政策は、バブルを発生させたあとで、バブルの破裂を手伝っただけである。それは丁度、87年から89年にかけて、日本銀行がバブルを発生させ、89〜90年に引き締めて崩壊させたのと同じである。2年早く、米国は04年から、日本は87年から、引き締めに転じていれば、バブルは小さく、破裂後の反動不況も小さく、短かったことであろう。
FRBは日本銀行の経験をまったく活かすことが出来なかった。
【預金銀行の健全化政策が資本市場、不動産市場の不健全化を招いた】
もう一つの政策上の問題点は、先進国のprudential policy(信用秩序維持政策)にある。
これ迄の「金融システム危機」は、預金銀行の破綻によって起こるいわば「銀行型システミック・リスク」によるものであった。このため、先進国のプルーデンス政策は、預金銀行の健全性維持に集中し、その中核にBISの自己資本比率規制があった。
しかし、ITの技術革新によって金融工学が発達し、銀行融資の証券化商品とフューチャーやスワップなどのデリバティブス(派生商品)が普及してくると、預金銀行部門と資本市場(証券会社、投資銀行、生保、各種ファンドなどがプレイヤー)と不動産市場(リート投信など)が一体となってくる。
その時に預金銀行部門の健全性だけを自己資本比率規制で維持しようとすれば、そのシワは融資の証券化というオフ・バランスシート化によって資本市場や不動産市場のプレイヤー達に寄り、そこで不健全な取引がどんどん累積する。
その結果、今回のように資本市場や不動産市場のプレイヤー達が倒産すれば、やはり金融システムは危機に陥る。いわゆる「市場型システムミック・リスク」による金融システム危機である。
【預金銀行と資本市場、不動産市場のプレイヤーを一体として見たプルーデンス政策を確立せよ】
今後のプルーデンス政策は、銀行部門、資本市場、不動産市場を一体として考え、そこでのプレイヤー全員の健全性を維持することを目標として設計されなければならない。それには証券化商品や派生商品などすべての金融商品のリスクの性質と所在を透明化するルールを創らなければならない。そうすれば、金融商品のレイティングにも客観性が出てくるし、プライシングも信用できるようになる。
預金銀行の庭先だけをきれいにするBISの自己資本比率規制は廃止した方がよい。預金銀行に限らず、すべての上場金融機関の株式の市場価値を総資産で除した比率の方が、恣意的に自己資本を定義するBISの自己資本比率よりも、遥かに正確に金融機関の健全性を示すという実証研究も発表されている。
先進国は、当面の金融危機に対する対応策が一段落し、一定の落ち着きを得たならば、新しいプルーデンス政策の策定に着手すべきである。日本はその先頭に立って、国際協調の実を挙げるべきであろう。