円高は長い目で見て日本経済に有利

―株価のネガティブな反応は近視眼的(H19.11.20)

【今年の最安値を更新して下がる日本の株価】
 日本の株価は、7月初め頃をピークに下落に転じ、このところ、今年の最安値を更新して下がっている。
 7月反転の切っ掛けは、サブプライム・ローン焦げ付きの表面化である。サブプライム・ローン証券化商品に投資している米欧日の金融機関が大きな損失を出しているが、その全貌は未だつかめておらず、いつまで尾を引くかも分からない。
 このため、グローバルに「質への逃避(flight to quality)」が起こり、@株式市場から債権市場や原油など商品市場への資金シフトが発生し、世界同時株安となっている。
 その上日本では、Aサブプライム・ローン問題に端を発する10〜12月期以降の米国の成長減速で輸出が鈍化し、輸出主導型成長に支えられた日本企業の業績が悪化するのではないかと心配されている。更に、B「質への逃避」は円高リスクを無視した円キャリ取引の行き過ぎに対する警戒を呼び起こし、円キャリ取引の逆転で、一時1米ドル=125円に迫った行き過ぎた円安の修正(「円安バブル」の崩壊)が起こり、110円前後まで円高となっている。ここでも、輸出企業の業績悪化が懸念されている。

【円高は現在の株価下落が示す程不利な話ではない】
 @世界同時株安の中で、日本の株価下落がとくにきついのは、A米国の成長減速とB円高によって、輸出主導型成長に影が差し、企業業績が悪化すると心配されているためである。
 とくに東証第1部上場企業は、製造業の比重が約半分と高く、そのほとんどが輸出企業であるため、株価に対するAとBの打撃は強く出る。
 しかし、日本経済全体、日本の企業全体から見ると、B円高の影響は現在の株価の反応が示す程不利な話ではない。長期的に見るとむしろ、日本にとって有利な点が少なくない。
 その最大の理由は、日本のGDPに占める輸出のウェイトは16%、就業人口に占める製造業のウェイトは17%に過ぎないからである。
 つまり、円高によって不利益を受ける輸出関連は、付加価値ベースで見ても、人口ベースで見ても2割以下であり、8割以上は円高によって利益を受けるからである。

【円安による輸出主導型成長が生み出した格差は円高で縮小できる】
 円高は輸入エネルギー、輸入原材料、輸入消費財、海外旅行の費用などを低下させるので、内需関連企業と国民(消費者)にとっては、コストが低下し、明らかに有利である。
 逆に言えば、2000年から最近まで続いた円安傾向は、2割以下の輸出企業に有利、国民(消費者)一般と8割以上の内需企業にとって不利に働いてきた。
 これが輸出関連大企業と内需関連中小企業、企業部門と家計部門、中央と地方の大きな格差を生み出した根本的原因である。
 つまり、円安に伴う輸出主導型成長こそが、現在の格差問題を生み出したマクロ経済的な原因なのである。行き過ぎた円安の修正、長期的な円高傾向の実現は、セイフティ・ネットの強化というミクロ対策と並んで、格差を縮小するマクロ経済的対策である。

【実質実効レートで見た最近10年余りの円安は4割に達する】
 円相場は通常「対米ドル」の「名目値」で語られるが、円高・円安の経済に対する影響を正確に考えるには、「対米ドル」だけではなく、日本の貿易相手国のすべての通貨に対する円の為替相場を、貿易取引のウェイトで加重平均した「実効」レートで見なければならない。
 また、国際競争上の有利不利を正しく判定するには、「名目値」ではなく、日本と相手国の物価動向で調整した「実質値」で見なければならない。
 「実質・実効」レートで見ると、下のグラフのように、「円安バブル」崩壊後の現時点までの3年間に、円相場は2割も下落している。もっと長期でみると、95年始め頃をピークに円相場は4割も下落し、85年のプラザ合意前の水準にまで下がってしまった。
 対米ドル名目円相場の動きが、これ程まで実質・実効レートと違う理由は、第一に、「対ユーロ」、「対英ポンド」、「対アジア諸国通貨」などの円相場が、「対米ドル」以上に下落しているからである。
 第二に、日本では物価が下落し、相手国では物価が上昇しているため、「実質値」の円安は、「名目値」の円安よりもはるかに大きいからである。



【長期的に見ると円安は不利、円高は有利】
 この実質・実効円相場の大幅下落は、輸出に偏った日本経済の成長と大きな格差を国内に生み出したが、同時に日本の弱い通貨と超低金利が、円建国際資本市場の縮小を招き、日本の対外資産運用は外貨建てで高い為替リスクにさらされている。
 家計にとっても、輸入品の値上がりと海外旅行コストの上昇は生活上不利である。
 企業にとっても、対外的な市場価値が下落し、海外企業に買収されるリスクが高まっている。
 そして、日本全体を見れば、1人当たりGDPの国際順位がどんどん下落し、一頃世界1であった順位が、今や20位近く迄下がっている。この経済力の相対的低下は、日本の国際政治上の発言力を弱めている。
 最近米国政府が円安を非難しなくなった理由を政治経済学的に考えると、@弱い円の下では日本の経常黒字が米国に流入し、米国の経常赤字を安定的にファイナンスしてくれるので居心地がよい、Aグローバル経済の下で、米国企業が市場価値の安い日本の優良企業を買収し易い、の2点が挙げられる。
 実質・実効レートの下落とは、自国品を安く売り、外国品を高く買う交易条件の悪化である。それで稼いだ黒字で、日本は米国の経常収支赤字をファイナンスし、発展を支えている。この「お人好しでコッケイな姿」(野口悠紀雄著『資本開国論』)が、日本の国益を損なっていることは言うまでもない。

【次期日銀総裁は円を健全通貨に育てる使命を負っている】
 以上のように、10年余りの円安傾向は日本経済にさまざまの不利益をもたらして来たが、いまその傾向が反転しようとしている。しかし、円安による輸出主導型成長に慣れきった日本の株式市場は、円高を極度に恐れ、ネガティブに反応している。
 来年3月に交替となる新しい日本銀行総裁は、この長年にわたる円安傾向に終止符を打ち、超低金利・円安・輸出主導型成長の日本経済を、正常金利・円高・内外需バランス型成長に転換する使命を負うことになるであろう。
 それは、円を国際的に信頼され、使い勝手のよい「健全通貨」に育てることにほかならない。その時、円建ての国際通貨・資本市場が発達し、日本の対外資産運用も安全で有利な形に変わるであろう。それは、日本国民の貯蓄残高を効率的に運用し、日本国民の生活基盤を強化することに資するものである。