6月短観・米国利上げと超金融緩和の「出口」(H16.7.2)



【回復の続く日本経済と利上げ傾向が始まった米国経済】
   6月調査の「日銀短観」は、当面の日本の景気回復持続をはっきりと示した。とくに大企業製造業の回復が顕著である。「業況判断DI」は大きく改善して前回(00年9、12月)と前々回(97年6月)のピークを超え、本年度の設備投資は前年比+20.4%と大きく伸びる計画である。
   しかし、中堅・中小企業と非製造業の回復は、「業況判断DI」も設備投資計画もそれ程大きなものではない。依然として、輸出と輸出関連設備投資にリードされた回復という性格は変わっていない。内需が自律的回復に転じ、非製造業、中堅・中小企業、地方経済が立直る兆はない。
   「業況判断DI」を尺度に使うと、今回の景気の長さは前回を僅かに超えたが、前々回並みに達するには、明05年の中頃迄回復が続かなければならない。
   折しも米国の公定歩合とFFレートが0.25%引上げられた。更に2.5%の引上げが8月に実施されるという観測が強い。年末までジリジリ上昇する可能性を指摘する声もある。とくに大統領選挙の結果民主党政権に変わると、来年から財政・金融両面の緊縮姿勢が強まるというのが、大方の見方だ。

【金融超緩和からの「出口」が問題となる四つのケース】
   このような日本経済の回復持続と米国金利の上昇傾向から判断すると、今後、恐らくは来年以降、日本銀行が現在の金融超緩和の修正(いわゆる出口)を迫られる事態、あるいは少なくとも金融超緩和を続けてよいかどうかの検討を迫られる事態が十分考えられる。そのシナリオは、大きく分けて、次の四つのケースではないかと考えられる。
[ケースT]
   「短観」の売上高計画(前年度実績+0.7%、本年度計画+1.4%)が示唆するような景気回復が本年度中に続き、2003年度の3.2%成長に続き、2004年度も3%台の実質成長率となる場合。2年連続の3%台成長に伴ない、GDPベースの需給ギャップは2〜3%縮小し、全国CPI(除く生鮮食品)のインフレ率は現在のマイナス0.3%程度のデフレから、明年に向ってプラス0.5%前後に上昇してくるであろう。これに伴ない名目成長率も3%台となり、長期市場金利は少なくとも3%台まで上昇して来る。

【海外金利高や輸入原燃料値上がりの影響】
[ケースU]
   本年下期以降の海外、とくに米国の金利上昇につれて、日本の長期市場金利も国際的金利裁定を通じて上昇し、本年下期中に3%に近付いて来るケース。この場合は、長期金利の上昇やそれに伴なう株価の回復停滞、対米輸出の鈍化などから、2004年度後半に成長は減速し、明年になってもCPI(同)のインフレ率は継続的に前年比プラスとはならず、デフレ脱却がはっきりしないケースとなろう。
[ケースV]
   中国における基礎資材のボトルネック・インフレや中東の地政学的リスクに伴なう原油価格の高止まりなどから、日本の原燃料の価格が上昇を続け、コスト・プッシュによってCPI(同)のインフレ率がプラスに転じ、長期金利も3%に向かって上昇してくるケース。
   この場合、コスト・プッシュと長期金利上昇は企業収益を圧迫するので、成長は来年に向って減速してくるであろう。

【デフレ下の資産インフレのリスク】
[ケースW]
   ケースTの場合ほどは成長率が高くないため、需給ギャップの縮小は大きくなく、従ってCPI(同)のインフレ率もゼロ%前後でデフレ脱却ははっきりしないが、地価や株価などの資産価格が上昇し始める場合。
   これは1980年代後半と似たケースである。あの時は、CPI(同)のインフレ率は0.5%程度であり、物価は極めて安定していたが、金融超緩和の下で資産価格の暴騰という形でバブルが発生した。
   このケースWは、今後日本銀行が直面する可能性のあるシナリオのうちで、政策的対応が最も難しいケースである。
   以上のケースT〜Wは、必ずしも独立して現れる訳ではなく、実際にはTとVの二つのケースやUとWの二つのケースが重なって現れる場合もありうることである。

【インフレ率を金利上昇のメルクマールにすべきケース】
   さて、この四つのケースに対する日本銀行の適切な対応は、どう在るべきかという「出口」論を考えてみよう。
[ケースT]
   この場合は、金融超緩和を修正すべきことは言うまでもないが、問題はそのやり方である。市場が過度に反応して長期金利が早くから上り過ぎると、折角の持続的成長にブレーキがかかる。反対に修正が遅れてしまうと、インフレ率が過度に高まり、強い引締めが必要になって、これも持続的成長を壊してしまう。
   そこで出てくる議論が、「インフレ目標値」の設定である。日本銀行が予め目標とするインフレ率を示しておけば、市場が過大、あるいは過小に反応することはないであろう、という考え方だ。
   これは、「一定のプラスのインフレ率」を金融超緩和からの「出口」のいわば「十分条件」とするものだ。
   しかしこれは、後に述べるように、ケースVやケースWの時に、「出口」が早過ぎたり遅過ぎたりするリスクを伴なうことになる。
   従って、目標値という形ではなく、日本銀行が予想しているインフレ率を市場に知らせ、過度の長期金利上昇を抑える工夫が要る。

【デフレ脱却がない限り動くべきではないケース】
[ケースU]
   海外金利高の影響で日本の長期金利が上昇してきた時には、日本銀行はどう対応すべきであろうか。
   デフレを脱却していない時に、外生的要因で長期金利が上昇し、成長に悪影響を与えるのは防がなければならない。しかし、短期金融市場における超緩和を更に進めてみても、短期金利はもうゼロ以下には下らないので、長期金利抑制の効果は出ない。
   大切なことは、長期金利の上昇が日本銀行の金融超緩和の「出口」の始まりではなく、もっぱら海外要因によるものだという日本銀行の認識を、明確に市場に伝えることであろう。その事を態度で示すために、長期金利引下げの効果は一時的なものに過ぎないとしても、長期国債の買オペ額を増やすのが、一つの方法かも知れない。しかし長期的な効果のない政策であるから、あまり大量に実施しない方がよい。

【インフレ目標値が不適切となるコスト・プッシュのケース】
[ケースV]
   このコスト・プッシュ・インフレの場合は、CPI(同)のインフレ率がプラスになるので、「インフレ目標値」を掲げていると、「目標値」に達したのであるから当然金融超緩和からの「出口」だと市場は判断し、長期市場金利は上昇に転じる。
   この金利上昇は、ただでさえコスト・プッシュで収益を圧迫されている企業にとって、二重の収益圧迫要因となる。これは明らかに持続的成長の妨げとなる早過ぎる「出口」だ。
   このことから分かるように、「インフレ目標値」を「出口」の「十分条件」として掲げていると困ったことになるケースがあるので、「目標値」設定は適切な政策運営とは言えない。
   たとえインフレ率がプラスに転じたとしても、それだけで金融超緩和の修正を始めるとは限らないということを、日本銀行ははっきりさせておいた方がよい。

【デフレ下の資産インフレのケース】
[ケースW]
   CPI(同)のインフレ率がマイナスをはっきり脱していないのに、土地や株式などの資産価格がどんどん上昇し始めた時には、日本銀行はどうすべきであろうか。
   資産インフレは、資産の賃貸料(例えば家賃、地代)などを通じて財・サービスのインフレに転化すると理論的には考えられるが、1980年代後半の経験によれば、そのタイム・ラグは意外と長いものである。87〜89年の資産バブルは、それが崩壊する89〜91年頃になって、CPI(同)のインフレ率に波及してきた。
   従って、CPI(同)のインフレ率がプラスにならない限り、超緩和を続けるという態度をとると、バブルの発生と崩壊で持続的成長が壊れるリスクがある。
   つまり、「インフレ目標値」を「出口」の「十分条件」ではなく「必要条件」としていても、「出口」が遅れるという金融政策の失敗を犯すリスクがあることに注意する必要がある。
   この場合は、たとえデフレの脱却がはっきりしていなくても、日本銀行は超緩和を修正する勇気を持たなければならない。

【インフレ率を金融政策運営上の「参照値」とせよ】
   以上、考えられる四つのケースについて、「出口」論を考えた。
   一つの結論は、「インフレ目標値」を掲げることは、「出口」の「十分条件」としては勿論のこと、「必要条件」としても、不適切であるというケースが存在することだ。ケースTやケースUの時はよいが、ケースVでは「出口」が早過ぎ、ケースWでは「出口」が遅過ぎるからだ。
   しかし、インフレ率を無視してよい訳ではない。ケースTとケースUでは、日本銀行がCPI(同)のインフレ率を大切な「参照値」にしているという認識が、過度の長期金利変動と、その経済に対する撹乱的影響を防ぐ上で十分に役に立つ。
   最近日本銀行の総裁や副総裁の一人が、将来は、日本銀行が望ましいと考えているインフレ率を政策運営の「参照値」として公表することも考えられると発言しているが、もしその意味がここで述べたことと同じであるならば、私はサポートしたいと思う。

【四つのケースに対する各界の反応】
   四つのケースに対して日本銀行が以上のような政策態度をとった時、国民、産業界、財務省はどのように感じるであろうか。
[ケースT]
   このケースは景気回復とそれに伴なう物価上昇に見合った金利上昇であるから、各界の不満は少ないであろう。経済界と財務省は金利負担の増加を嫌がるであろうが、収益の回復や自然増収があるので、強い反発はないであろう。
[ケースU]
   金融超緩和が続くので経済界と財務省に不満はないであろうが、消費者であり預金者である国民から見ると、物価上昇下で金利が据置かれることに不満が高まろう。
[ケースV]
   経済界と財務省は米国につられて金利が上昇することに不満はあろうが、日本銀行はそれを抑えようとしているのであるから、日本銀行に向って強い不満は来ないであろう。預金者には不満があるかも知れない。
[ケースW]
   国民はこの利上げを支持するであろうが、金利負担が増える経済界と財務省には不満があるかも知れない。このケースが一番やっかいであろう。
   以上のように、日本銀行の政策態度が各界から喜ばれるケースは意外と少なく、この場合はケースTしかない。これが中央銀行の宿命である。最終的には日本経済の持続的成長に資するので、各界から評価されると確信し、日本銀行は勇気を持って実行するほかはない。