経済政策に見る「バカの壁」(その1)(H16.1.13)


─金融行政と民営化政策─

【思考停止や忠告拒絶が作る「バカの壁」】
   昨年は「バカの壁」という言葉が流行語の一つとなった。養老孟司著『バカの壁』(新潮新著、2003年)を読んでみると、「それ以上の理解を諦める、あるいは聞く耳を持たない、という形で思考を停止し、己の周囲に作っている壁」が「バカの壁」だそうである。
   そう言われてみると、現代日本の経済政策の中にも、大切な分野で思考停止が行なわれ、「バカの壁」が築かれて、それ以上政策が発展しない例がいくつもある。それが小泉改革を有名無実にし、日本経済の停滞を長引かせている。
   以下、重要な分野についていくつかの例を挙げてみよう。政治家や官僚が思考停止の呪文から覚め、「バカの壁」を壊し、聞く耳を持って政策を前進させることを期待したいからである。

【金融行政に見る「バカの壁」】
   日本の金融行政は、米国から迫られている「不良債権の早期処理」と、BIS規制である「自己資本比率規制」を最優先にするという所で思考が停止し、いっさい聞く耳を持たずにこの二つに邁進している。そして自己資本比率が低下した銀行には公的資本を注入し、「経営改善計画」と稱する「効率性指標」の目標化を義務付けている。
   しかし、「不良債権比率」と「自己資本比率」と「効率性指標」の三つについて数量目標を強制すれば、どのような理屈で日本の銀行システムが蘇り、日本経済が復活するのであろうか。そこをきちんと考えたことがあるのか。米国の要請やBIS規制は正しいと頭から信じ込んで思考停止し、「バカの壁」を作ってそれ以上考えないでいるのではないか。
   この三つの数量目標は本来相互に矛盾する。不良債権処理を急げば、資本金を崩すから自己資本比率が下がる。有税の償却や積立てを行うので、効率性指標も下がる。そこで自己資本比率と効率性指標の低下を最小限に抑えようとすれば、二つの指標の分母である貸出総額を圧縮するほかはない。その結果「貸し渋り」や「貸しはがし」が起きて景気に悪影響が及ぶ。これでどうして銀行システムが蘇り、日本経済が復活するのか。結果は逆ではないか。

【三つの組合せは経営者の責任で選択させ市場に判定させよ】
   本来矛盾する三つの経営指標について、行政が数量目標を強制するのは民間市場経済への「過剰介入」である。矛盾する三つの指標についてはいろいろな組合せがあり、そのどれが適切かということは行政が判断する問題ではないし、そもそも判断する能力もない筈だ。
   この組合せは、経営者がクビを賭けて選択し、顧客や株式市場の投資家など広い意味の「マーケット」に判定してもらうことである。行政が行うのは、三つの指標に偽りがないかどうかを検査して公表し、透明性を高めるところ迄だ。その結果、マーケットの判定で退場を余儀なくされる銀行については、預金者を保護し、金融システムの安定性を維持することに努めるのが行政の仕事である。
   「バカの壁」を壊し、このような市場型の金融行政に転換するならば、銀行経営者の自律性が高まり、銀行の差別化が進み、リスクを取って融資する銀行が現れ、日本経済の復活につながることになろう。
   竹中大臣と金融庁の官僚は、介入型行政から市場型行政への転換を口で言うだけではなく、この分野で「バカの壁」を壊し、実行して欲しいものだ。

【民営化政策に見る「バカの壁」】
   次に、小泉首相は、「道路公団と郵政三事業の「民営化」はよいことだ。歴代首相も野党でさえも言い出せなかった「民営化」を自分は実行するのだ」と主張するところで思考停止し、これらの「民営化」が本当に日本経済を復活させる構造改革になるのかどうかを考えもしないし、説明もしない。これは小泉首相が築いた「バカの壁」ではないだろうか。
   市場メカニズムにまかせた方がよい事業を政府が行っている場合は、「民営化」した方がよいに決っている。鉄道事業、通信事業、タバコ製造業は、市場メカニズムに従って民間で行うことが出来るのに、国鉄、電々、専売の3公社が官業として行っていた。だから中曽根首相が行ったこの3公社の民営化は正しい政策なのである。民営化後の3公社は、同じ事業を行なう内外の民間会社と市場メカニズムに従って競争し、経営効率も改善している。

【高速道路は民営化に適しない「公共財」である】
   しかし、道路公団と郵政三事業はどうであろうか。郵政三事業のうち郵便貯金と簡易保険は、明らかに市場メカニズムに従って民間で行われている銀行業や保険業と競合し、「官業の民業圧迫」の典型である。この二事業の民営化が望ましいことは、疑問の余地がない。私はこの二事業を縮小し、最終的には民間に売却すべきだと思う。
   しかし、高速道路建設と郵便事業は違う。
   高速道路を含む道路は「公共財」であるというのは、経済学の常識である。「公共財」とは、市場メカニズムにまかせておくと、最適配分が行なわれない財のことである。道路の場合、その建設を民間市場経済の自由競争にまかせておくと、道路事業の最適規模が極めて大きい(限界収益が逓減せず逓増する)ので、先発会社が競走上有利な立場にたって後発会社を市場から締め出し、独占が成立する。その結果、道路の建設が不足したり、独占利潤をあげるための高い通行料金を設定したりする。

【高速道路を含め道路建設は政府・自治体の仕事】
   従って道路建設は、高速道路の建設を含め、政府・自治体が行うべきことである。道路公団の経営が乱脈で借金が増え続けているのは、政府の道路公団監督が悪いからである。民営化しても競争相手が居ないから改善されない。対策は道路公団を解散し、政府が別の形で高速道路の建設を管理することである。道路公団の民営化は対策にならない。
   しかし政府は、始めから「民営化」ありきで、「道路関係4公団民営化推進委員会」を作り、民営化をどのように進めるかの議論に終始している。これは民営化という「バカの壁」を前提にした対策だ。
   そうではなくて、まず「バカの壁」を取り払い、高速道路建設はどのように進めるのが一番よいかを議論すべきなのである。道路関係予算9兆円のうちの2兆円を使えば、既存の高速道路の管理や道路公団の債務返済は出来る筈である。道路公団の「民営化」よりもよい案が、いろいろ出てくる筈だ。

【郵便事業はナショナル・ミニマムを保障する公共サービス】
   同じような「バカの壁」は、郵便事業「民営化」についても言える。採算を度外視して全国一律同一料金で郵便を配達することは、民間市場経済では出来ない。しかし、日本の国土のどこに住んでいてもこのサービス(全国一律同一料金による配達)を受けることが出来る状態を、日本の国家がナショナル・ミニマムとして保障することは、「公共財」としてこのサービスを国が提供していることにほかならない。
   またこのサービスを実現するために、山間僻地まで張り巡らさせている郵便局のネットワークも、貴重な社会的共通資本(公共財の一種)である。この貴重な社会資本を使って提供している公共サービスが、全国一律同一料金の郵便事業である。
   それなのに、「民営化はよいこと」という所で思考停止し、この公共サービスまで民営化しようという発想は、将に「バカの壁」である。

【民間会社の郵便事業参入は検討に価する規制緩和】
   民間市場経済でも採算の合う特定地域の郵便事業に民間会社を参入させることは、一種の規制緩和として考えられる。しかしこの場合は、採算に合わない山間僻地を同一料金で対象にすることは出来ないので、都市間など便利な所に事業は限られるであろう。そうなると、コストの安い地域だけに民間会社が参入し、コストの高い地域は国の郵便事業に残される。このため国の郵便事業コストは上昇し、料金引上げか税金による赤字補填に追い込まれる。
   政府は、参入する民間会社にも全国一律同一料金や一定のポスト・ネットワークを強制しているので、参入に熱心であった「ヤマト運輸」を含め、今のところどの会社も参入しようとしない。採算に合わないからだ。その結果政府は、事実上独占の壁を築いている。これは規制緩和という改革の方向とは正反対だ。この状態で、この独占的郵政公社を「民営化」してみたところで、何になるのか。巨大な民間独占企業を作るだけだ。市場メカニズムに沿った経済の効率化などは、一つも進まないであろう。
   民間会社の自由な参入を認め、競争を通じて郵便事業のコスト低下を促進する一方、公共サービスである山間僻地への同一料金による郵便配達は、ナショナル・ミニマム維持のコストとして、税金を投入してでも維持すべきであろう。

【特殊法人、独立行政法人、認可法人の「民営化」を地道に進めよ】
   以上、道路公団と郵政公社の「民営化」が正しいと頭から思い込むことは、「バカの壁」を築くことであると説明したが、逆に言って、それでは「民営化」は必要ないのだと考えるとすれば、これも一種の思考停止であり、「バカの壁」である。
   どの場合に「民営化」が必要で、どの場合に「民営化」は不適切なのかを考えるのが、「バカの壁」の突破である。
   前述のように、郵貯と簡保は「民営化」すべきであるが、高速道路建設と郵便事業は民営化すべきではない。
   道路公団と郵政公社は目立つ存在なので、小泉首相は「民営化」の対象としてショウ・アップしているのであろうが、もっと地味な分野に「民営化」すべき政府事業は沢山ある。
   ここではいちいち挙げないが、特殊法人、独立行政法人、認可法人の大半は、民間でも出来る事業を政府が奪っている。この分野の「民営化」を着実に実施することは、日本経済全体の効率を上げ、民間市場経済の投資機会と雇用機会を増やして、景気回復にも通じる。

─(その2)以下に続く─