竹中経済学は日本経済の現実に合わない(02.10.15)

−竹中流経済政策の理論的誤り−

【市場の均衡回復力と市場の失敗】
 よく知られているように、マクロ経済学には昔から2つの大きな潮流がある。1つは市場経済に内在する自律的均衡回復力に信を置く考え方で、「神の見えざる手」による均衡を説いたアダム・スミスの古典経済学に始まる。もう1つは市場の失敗を重視する考え方で、裁量的財政政策の重要性を説いたJ・M・ケインズが近代の祖である。
 第2次大戦後の日本の学界では、後者の潮流が強く、市場経済に対する政府の政策的介入を研究する公共経済学が盛んであった。しかし皮肉なことに、現実の日本経済は、民需主導で自律的に成長するという点で、前者の姿に近かった。
 日本経済の高度成長は、裁量的ケインズ政策に支えられたと言う学者も居るが、日銀エコノミストであった私の目からみると、自律的均衡回復力の強い新古典派モデルに近い姿であった。金融引締めで景気過熱を沈静化させたあと金融を緩和すると、たいした財政拡張政策も打たないのに、景気は民需が立直ってたちまち回復して来たからである。だから財政収支は一貫して黒字であった。
 日本経済の自律的な均衡回復力に陰りが出てきたのは、高度成長が終った1970年代後半からである。景気回復策としての財政政策の役割りが次第に高まり、財政収支は赤字に転じた。反面、金融緩和政策の有効性は徐々に低下し、金利水準は趨勢として下ってきた。
 1990年代に入ると、バブル崩壊が大きな引き金となって、日本経済は長期停滞に陥った。金融市場にアイドル・バランスを15兆円以上積んでも、金利をゼロまで下げても、経済は停滞したままである。ケインズの言う「流動性のワナ」にはまり、「投資の利子非弾力性」の状態になってしまった。
 日本経済は、以前の新古典派モデルに近い状態から、自律的均衡回復力を欠いたケインズ・モデルの状態に変ったのである。

【日本の現実に合わない新古典派経済学】
 ところがその頃の日本の学界は、それ迄のケインズ派一色から、米国留学帰りの若い人々を中心に、新古典派的な考え方の人が増えてきた。日本におけるこのような経済実態と経済学のスレ違いは悲劇的である。
 新古典派モデルで考えると、経済は常に均衡しているのであるから、経済停滞の原因は供給側の非効率性にある。従って、対策の基本は「構造改革」による供給側の効率向上になる。
 竹中平蔵大臣を理論的支柱とする小泉政権の考え方がこれだ。「改革なくして成長なし」と稱して、需要拡大策を一切打たず、「改革」の名の下に、国債発行抑制、公共投資削減などのデフレ予算を強行している。このため経済は一段と沈滞し、株価はバブル発生以前の1980年頃の水準まで下ってしまった。
 しかし、日本経済がケインズ・モデルに近いのであれば、需要不足による不均衡が経済停滞の原因であるから、対策は需要拡大政策である。その場合金融政策は、「流動性のワナ」に陥り、「投資の利子非弾力性」の状態となっているので、総需要を拡大する力を失っている。財政拡張政策以外には総需要を拡大し、経済を停滞から救い出す手だてはないのである。
 理論的に考えれば、ごく当り前なこの政策論が理解されていないのが、今日の日本の悲劇である。

【財政再建最優先の経済とは】
 最近における日本経済と経済学の悲劇的なスレ違いを端的に示しているテーマは、「財政再建か、景気回復か」というマスコミがよく採り上げるテーマである。
 新古典派の経済学では、財政再建によって財政赤字を縮小すると、その縮小分だけ事前的な意味で貯蓄があまり(国債発行で吸収されていた資金が国債発行の縮小分だけ市場に余り)、金利が低下する。そうすると、民間の資金需要が出てきて余った貯蓄(余った資金)を吸収し、投資に回すので、その分だけ投資が増加する。したがって、財政赤字の縮小は民間投資の増加によって穴埋めされ、不況(事前的な意味の貯蓄超過)は放っておいてもすぐに解消する。その上、財政赤字で賄っていた政府支出よりも民間投資のほうが経済的な効率がよいので、経済成長率は高まる。
 このようなハッピーな調和の世界、自立的な均衡回復の世界が、新古典派モデルの世界である。前述のように、高度成長期の日本がそれに近かった。そこでは、財政再建(財政収支の黒字)の下で、景気は回復し、しかも経済成長率は以前よりも高まったのである。従って財政再建よりも景気回復を優先させ、財政赤字を増やして政府支出を拡大し、景気を刺激する必要はなかった。高度成長期の日本は、財政収支が黒字のままで、民間投資主導型の10%成長が続き、18年間の間に成長率は前半の9%から後半の11%に加速さえしたのである。

【景気回復最優先の経済とは】
 これに対して最近の日本経済はどうであろうか。1997年度の橋本内閣の予算(9兆円の国民負担の増加)でも、2001年度〜2002年度の小泉内閣の予算(国債発行と公共投資の削減)でも、財政再建最優先の掛け声で財政赤字を削減したが、結果は1998年度のマイナス成長であり、また2001年度のマイナス成長(2002年度もマイナス成長かも知れない)であった。その結果税収は落ちて財政赤字は逆に拡大している。  1998年度の場合は、自自連立の小渕政権による1999年度の積極予算(9兆円減税)によって、景気は回復した。2002年度の場合は、小泉政権の政策転換が中途半端にとどまっている為、景気回復の展望はまったく立っていない。  現在の日本経済は、日本銀行が市場に15兆円もの余剰資金を置き、金利をゼロにまで下げても、民間はその資金を借りて投資を行おうとはしない。既に述べたように、このような恒常的な不均衡を、ケインズは「流動性のワナ」に陥った「投資の利子非弾力性」の状態と呼んだ。
 このようなケインズ・モデルの世界では、財政赤字を減らして(国債発行を減らして)貯蓄(資金)を余しても、金利はゼロから下に下がらないので、民間がその余った貯蓄(資金)を使って投資を増やそうとしないのである。従って、財政赤字の削減は貯蓄の余剰(需要不足によるデフレ)を生み出すだけで、景気の自立的回復は起こらない。

【小泉経済政策の理論的誤り】
 それでもなお「財政再建」最優先で「景気回復」政策を打たないのが小泉経済政策であり、その理論的支柱が竹中経済財政担当大臣兼金融担当大臣である。日本経済の現実に合っていない経済学を信奉する竹中大臣の下で、日本経済がメチャメチャになって行くのは、本当に残念なことである。
 小泉さんも竹中さんも、口を開けば「財政拡張政策は効かない」と言うが、そんな事はない。1990年代以降、財政拡張政策で日本の景気が立直るたびに、1997年度の橋本緊縮政策や2001年度〜2002年度の小泉緊縮政策によって、マイナス成長に叩き落されているのである。
 財政政策で景気を刺激しても、以前のように民間投資が勢いよく出てこないのは事実である。しかしこれは、景気回復に伴って改善した企業収益が、設備の廃棄、不動産の損切り売り、借り入れの返済などバブル崩壊で痛んだ企業財務の修復に使われているためである。企業財務の修復が終れば財政拡張政策による景気回復、企業収益の改善は、もっと勢いのよい投資回復を呼び起こすであろう。
 それによって企業の先行き観に自信が戻れば、日本経済は徐々に新古典派モデルに近づいていく。その時こそ、景気対策は要らなくなり、財政再建が進むのである。