「そごう」問題で進退極まった森内閣(2000.8.7)
【衆議院予算委員会で自由党を代表して「そごう」問題を追求】
7月28日(金)に開会した第149回臨時国会は、8月2日(水)と3日(木)の2日間、衆議院予算委員会を開いた。このうち2日(水)の基本的質疑は、終日(午前9時から午後6時)NHK総合テレビによって中継放映された。
私は2日間とも、自由党を代表して「そごう」問題を中心に森総理などと質疑を行ない、経済政策の基本戦略について自由党の主張を展開した。
NHKテレビで見た方も居られようが、以下では私の2日間の論戦のポイントを紹介したい。
【国の「そごう」に対する債権放棄は市場経済の鉄則に反する】
市場経済の鉄則は、大企業であろうと大銀行であろうと、「借金を返さない者は市場から退出する」ということであり、多くの中小企業経営者は、経営の再建が出来ない時にはこの鉄則を守り、泣く泣く会社を清算して市場から退出してきた。
従って、金融再生委員会が、6月30日に「そごう」に対する国の債権放棄を決定した時、国民と野党の怒りが吹き出した。市場経済の鉄則を無視し、大企業の「そごう」に対して国民の血税を投入し、その経営再建を助けるとは何事かという訳である。
驚いた政府・自民党は、自民党の亀井政調会長から「そごう」の山田社長に圧力をかけて国に対する債権放棄申請を取下げさせ、裁判所に対して民事再生法の適用を申請させた。
【民事再生法は「そごう」のような大企業のための法律ではない】
しかし、これによって「そごう」の再建に対する国の血税投入がなくなった訳ではない。むしろ将来の血税投入額が拡大する可能性が高まってきたのである。
民事再生法は、会社更正法の複雑な手続きに向かない中小企業のための再建型整理の法律であるため、経営者がそのまま経営を続け、資産も管理しながら、数々の手続きを省略し、6〜12ヵ月で再生計画を決定することが出来る。法の精神から言えば、大企業の「そごう」のように数百人の債権者が居る場合の整理型倒産には簡略すぎて不適切である。しかし民事再生法は、大企業への適用を禁止していないので、この「そごう」のケースは適法となる。
その結果、恐らく今年の11月頃には経営者と債権者が話し合って再生計画の原案が出来上がり、来年の1月頃には裁判所が決定して再生計画が動き出すであろう。
その再生計画には、当然国の債権放棄が含まれることになる。
【民事再生法を適用すると国の債権放棄額は増加する】
「そごう」の経営悪化は、借金過多が原因であり、主要店の経常収支は黒字である。従ってその再建計画は、借金と地方の赤字店の切捨てが内容となる。
民事再生法にせよ会社更正法にせよ、再建型整理で借金切捨て(債権放棄)を決める時は、裁判所は「債権者平等の原則」、すなわちプロラタ方式で行う。つまり債権額のシェアに従って個々の債権者の債権放棄額を決めることになる。
当初、金融再生委員会に国の債権放棄を申請していた段階では、裁判所の法的整理計画ではなく、「そごう」と債権者が協議して作った私的整理計画であったから、プロラタ方式ではなく、メイン・バンクの興銀が債権をほとんど全額放棄することにより、国の債権放棄額を970億円に抑えていた。
しかし、来年1月頃に裁判所が決定する再生計画では、プロラタ方式となるので、国の債権放棄額は少なくとも230億円増えて1,200億円に達するであろう。
【国は裁判所が決めた債権放棄額を拒否できない】
森首相は、所信表明演説でも、本会議や委員会の答弁でも、国の「債権放棄は安易にするべきではない」と述べている。
しかし、民事再生法に基づいて裁判所が決定する債権放棄に対して、国といえども拒否することは出来ない。まず第一に、「そごう」の経営者、債権者と裁判所が再生計画を協議する段階では、国はまだ債権者ではない。債権者は新生銀行(旧日長銀の受皿銀行)である。従って国はこの協議に参加できない。
そして裁判所がプロラタ方式で債権放棄額を決めた結果、新生銀行の債権が2割以上減価することになる。その段階で「瑕疵担保特約」に基づき、その債権を国が新生銀行から減価する前の簿価で買い取ることになる。この時始めて国が「そごう」に対する債権者となるが、既に債権放棄額は裁判所の決定で決まっているので、国は従わざるを得ない。
この過程で、国が裁判所に干渉する、つまり行政権が司法権に介入することは、憲法の三権分立の原則から言って許されない。
【森内閣は進退極まり問題の表面化を半年先送りした】
以上の結果、森内閣は「退くも地獄、進むも地獄」の状態、言わば進退極まっているのである。
つまり、費用最小化の原則に基づいて国の負担が比較的少ない私的整理案を受け入れ、債権を放棄しようとすれば、私企業の救済に血税を投入するのかという国民と野党の怒りを買う。
だからといって、私的整理案を取り下げさせて、民事再生法に基づく法的整理をやらせれば、国の債権放棄額は大きくなる。
結局、森内閣がやったことは、国の債権放棄を自分の責任で行なわず、裁判所の責任で行おうとしていること、その結果債権放棄の時期は半年先送り出来たが、債権放棄の額はむしろ膨らんでしまうこと、の二点である。
要するに森内閣は進退極まっているが、問題を先送りしたので、その表面化は半年先になるということだ。それ迄に森内閣が退陣してしまえば、責任の所在はあいまいになる。
【2年前の金融国会に今日の混乱の原因がある】
このような結果となった根本的原因は、現行の金融再生法の欠陥にある。
この法律は、2年前のいわゆる「金融国会」において、政府自民党が「野党案を丸呑み」した結果できたと言われている。しかし、そのような浅薄な理解では今日の混乱の原因は分からない。
2年前の「金融国会」に、民主・公明・自由の3野党は、受皿金融機関が自主的に名乗りをあげない限り、破綻金融機関は清算することを原則とする法案を提出した。その方法は二つ、@金融整理管財人による法的整理と、A信用秩序に影響が大きい場合(日長銀や日債銀を念頭に置いていた)は、国が株式を全額取得して公的管理下に置き、清算する方法である。
これに対して政府・自民党は、「ブリッジバンク(承継銀行)」法案を出してきた。
これは、B破綻金融機関を一時的に金融整理管財人が承継し、不良債権を整理回収機構に引渡した上で、受皿銀行を探して売却する方法である。
【野党案丸呑みではなく野党案を変質させた現行再生法】
野党案の@Aと政府自民党案のBの間には、単なる方法の違いのみならず、原理原則の違いがある。
野党案の@Aは、破綻した金融機関を市場から退出させることを原則としている。しかし政府自民党案のBは、破綻した金融機関を再び市場に戻すことを原則としている。
そして「野党案丸呑み」と称して出来た現行の金融再生法は、AとBを合体し、国営のブリッジバンクによって旧日長銀や旧日債銀を生きたまま市場に戻す法案に変質させたのである。
2年前の10月2日の各紙の朝刊は、金融再生特別委の自民党理事であった津島雄二議員(現在厚生大臣)の次の発言を一斉に報じている。
「私達は野党案を換骨奪胎し、野党を洗脳し、日長銀を生きたまま国営管理にして生きたまま民間に売戻す法案に変質させました。そのため、国営管理に際しては、野党案のように株式を取得するだけではなく、資産を買取り、受皿銀行には資本注入など資金援助をすることが出来るような条文を加えました」
【自由党が現行再生法に反対した際の主張が適中した】
この津島議員の発言から明らかなように、破綻金融機関を市場から退出させるための野党案が、市場に戻すための現行金融再生法に変質したのである。
この事を見抜いた我が自由党は、当初の野党案の提出者には私自身を始め自由党議員が参加していたが、「野党案丸呑み」と称する現行の金融再生法の提出者からは私を含む自由党議員は全員抜けて、自由党として反対票を投じた。破綻金融機関は、原則として整理すべきであるという主張を貫いたのである。
私達の主張が適中したのが、今日進退極まった森内閣の姿である。
自由党の主張通り「借金を返せない者は市場から退出する」という市場経済の鉄則を、金融再生法において貫けば、今日の事態はない。その鉄則を破るために、「瑕疵担保特約」という国に不利な契約を付けてまで、無理矢理民間に旧日長銀と旧日債銀を売戻さなければならなくなったのだ。そして、国民の血税負担は増え、大企業救済に対する国民の不公平感、モラル・ハザード、国際的信用失墜が広がっている。
【問題先送りの慢性病か、切開手術で全快か】
自由党と政府自民党のこのような態度の違いは、実は経済政策の戦略の違いに根差している。
本年6月の総選挙において「日本一新」をキーワードとして戦ったことにも示されているように、自由党は日本を一挙に、抜本的に変えなければ、21世紀の発展はないと思っている。従って、不良債権問題についても、徹底的に整理し、耐えられない金融機関は市場から退出させるべきだと考えている。
これに対して政府自民党は、問題を出来る限り先送りし、どうしてもだめな時はなし崩し的に変えようとしている。従って不良債権の処理も、大問題は出来る限り先送りして景気の回復を待とうという態度であり、小さな部分だけ整理してきた。
この違いを病人に例えていえば、自由党は切開手術をして、その時は辛くても早く全快させようという態度である。これに対して政府自民党は、手術を避けて薬で散らし、だらだらと慢性病で行く態度である。
政府自民党の政策態度では、「失われた90年代」が21世紀も続く。今こそ自由党の「日本一新」の経済戦略が求められていると思う。