「そごう」問題は政府・自民党の大失政だ(2000.7.18)

−7月17日の衆議院大蔵委員会の閉会中審査−

【自由党を代表し「そごう」問題で政府・自民党を追求】
  7月17日(月)午前9時から午後7時までの9時間、衆議院大蔵委員会において、預金保険機構の「そごう」向け債権放棄問題について、閉会中審査が行なわれた。
  私は自由党経済財政部会長、自由党大蔵委員会理事として、党を代表して宮沢大蔵大臣と久世国務大臣(金融再生委員長)に対し質疑を行った。
  以下はその主要論旨である。

【与党の政策責任者が内閣と金融再生委員会の頭越しに「そごう」に圧力】
  「そごう」が国に対する債権放棄の申請を取下げ、民事再生法の適用を裁判所に申請したことは、大企業であるが故に「そごう」を国民の血税で救済しようとした政府・自民党に対する国民と野党の怒りに、政府・自民党が屈したものである。その事自体はよいが、しかしそのやり方が間違っている。
  議院内閣制をとる日本では、内閣と与党自民党は一体であり、その内閣の一員である久世国務大臣が金融再生委員会の委員長に任命されているのであるから、自民党の政策責任者(亀井政調会長)と金融再生委員長は本来一体である。
  従って、「そごう」に対して国民の血税を使って国が債権を放棄するという金融再生委員会の決定に対し、自民党の政策責任者が反対するのであれば、まず自民党の政策責任者と内閣の一員としての金融再生委員長が協議し、それに基づいて金融再生委員長が他の4人の委員と再協議すべきであった。
  しかし、実際は自民党の政策責任者が、内閣や金融再生委員会の頭越しに、「そごう」に圧力をかけたのである。

【私企業に対する与党の直接介入により日本経済の信用は失墜】
  これは市場経済における一私企業の経営に対し、与党の政策責任者が介入し、計画を変更させたことを意味する。形式的、最終的には「そごう」が「自主的」に国に対する債権放棄の申請を取り下げ、裁判所に民事再生法の適用を申請したかもしれない。しかしその決定が、与党の政策責任者から「そうしろ」という強い口調の電話がかかった翌日である。誰の目にも、与党の介入によって「そごう」の再建計画が覆ったことは明白である。

  海外からみると、日本経済は「自立した市場経済」ではなく、政府や与党の「法律外の、恣意的、裁量的な介入で私企業の経営計画が変わる非自立的な経済」と映るに違いない。それに伴なう日本経済の国際的信用失墜は計り知れない。
  自民党の亀井政調会長は、自分がやったことを「ウルトラC」と呼んで自画自賛している。しかしこれは、一体である与党=内閣=金融再生委員会の共同責任を手品のように消した「ウルトラC」ではあっても、日本経済の信用失墜という計り知れないコストを払ったという点で、「最低の技」である。

【債権放棄の前提となる「そごう」の再建計画は疑問だらけ】
  次に金融再生委員会が、「そごう」に対する国の債権放棄を認めたのは、国が債権放棄を拒否すると「そごう」の経営再建が不可能となり、法的処理に入る結果、国の債権損失は200億円以上増加するので、「費用最小化原則」(金融再生法第3条6項)に基づき、債権放棄を認可したという。
  この説明には、数多くの疑問がある。
  第1に、百貨店は流通革命の下で構造不況に陥っており、借金を棒引きにしただけで本当に経営が再建できるのか。
  第2に、法的処理のコスト計算は多くの仮定に基づいているが、本当に正しいのか。
  第3に、再建計画には株主責任(減資)が入っていない。国民に血税を払わせるのに、株主は責任をとらないのか。
  第4に、「そごう」代表の水島氏は、過去10年間に44億円、去年1年間でも4億円の所得を赤字企業「そごう」から受け取っている。経営者の責任として、私財を提供するのかどうかはっきりしていない。

【モラルハザード発生など社会的コストを忘れている】
  更に、より根本的な問題がある。
  100歩、200歩譲って、国が債権放棄すれば「そごう」の経営再建が可能だとしても、その時取り返しがつかない程の大きな社会的コストが発生することを金融再生委員会は無視している。
  第1に、「市場経済では借りた金は返さなければならない。返せなければ市場から退出する。」という鉄則を、大企業であるが故に「そごう」の場合だけ曲げることに対する国民の不公平感の発生である。
  第2に、「そごう」が血税で救われれば、同じ状態のゼネコン2社や流通グループなどの経営者にモラル・ハザードが発生し、次々と国に対する債権放棄を請求してくるであろう。市場経済の鉄則通り、倒産して退場して行った多くの中小企業経営者の間には怨嗟の声が上がるであろう。
  第3に、市場経済の鉄則を平気でねじ曲げる日本政府と日本経済に対し、国際的な信用が著しく低下する。
  以上の三つの社会的コストを考えれば、「費用最小化原則」に基づいても、「そごう」に対する債権放棄は認めるべきではない。

【瑕疵担保特約がもたらすモラル・ハザードと不公平】
  最後に、3年間に2割以上債権が減価すれば、「瑕疵担保特約」に基づき、新生銀行(旧日長銀の受皿銀行)は国に対しその債権を簿価で買取るよう請求できるという契約が、国と新生銀行の間に存在している。
  この特約の下では、取引先の経営が悪化し、その取引先が返済不能となって債権が減価すれば、新生銀行は国に対して債権減価以前の簿価でその債権を売却し、債権全額を回収できる。従って新生銀行の経営者には、取引先企業の経営悪化を防ぐ動機がない。むしろ、経営が悪化した方が安全に債権を回収できる。これは大変大きなモラル・ハザードである。しかもそのしわ寄せは、国(従って国民の血税)と他の債権者に寄る。
  このように不公平な契約が、他に存在するであろうか。

【「そごう」問題は金融再生法の欠陥に根差す】
  このように不合理な「瑕疵担保特約」が、国と受皿銀行の契約の中に入ったのは、そうしない限り受皿銀行が現われなかったためである。従って、破綻した旧日長銀や旧日債銀を、法的に整理するのではなく、何がなんでも「生きたまま」民間の受皿銀行に戻そうという「金融再生法」に根本的な問題がある。
  この「金融再生法」は、2年前の夏の金融国会において、野党案を「丸呑み」して出来たことになっている。
  当時、民主、公明、自由の野党3党は、破綻金融機関を処理する二つの原則を決める法案を提出していた。一つは金融整理管財人による整理であり、もう一つは信用秩序などに影響が大きい場合に使う「特別公的管理」(国営)による整理である。
  これに対して政府=自民党は、「ブリッジバンク(承継銀行)法案」を提出していた。破綻した金融機関の資産・負債を承継する銀行を作り、優良部分だけを受皿銀行に譲渡する法案である。

【野党案丸呑みと称して国営ブリッジバンク法案を作った政府=自民党】
  野党案と政府=自民党案は、政策思想が違っていた。野党案は、破綻した金融機関を原則として整理するための法案である。これに対して政府=自民党案は破綻した金融機関を、原則として生きたまま受皿銀行に渡すためのブリッジ・バンク法案である。
  政府=自民党は、3ヵ月に及ぶ国会審議の末、「野党案丸呑み」と称して、野党案にブリッジ・バンクの規定を入れる形で、妥協したかに見えた。形の上では、破綻金融機関の処理方式は、野党案にあった金融整理管財人による整理、特別公的管理(国営)による整理と並んで、ブリッジ・バンク方式が第三の選択肢として入ったかに見えた。
  しかし実際は、整理する手段であった筈の特別公的管理銀行が、国営のブリッジバンクに変質し、旧日長銀や旧日債銀を「生きたまま」国営化し、再び「生きたまま」民間に返す法律に変質してしまった。

【金融再生法が「そごう」問題を生み出した】
  破綻した金融機関は、受皿銀行が出てこない限り、整理すべきである。しかし修正法案では、国が破綻した金融機関の株式を取得して経営を管理するだけではなく、資産も取得して不良資産を整理し、優良資産だけを残し、受皿銀行を探して資金援助を付けて譲渡することになった。何が何でも受皿銀行を見つけて、「生きたまま」旧日長銀や旧日債銀を民間に返そうというわけである。その過程で「瑕疵担保特約」などという受皿銀行に一方的に有利で、ノー・リスク、ハイ・リターンの不合理な契約が生まれたのである。
  破綻金融機関の原則整理から、原則救済に変質した法案に対し、自由党は反対に転じた。「野党案丸呑み」と称する現行の「金融再生法」は、野党案の共同提出者であった自由党を除く民主、公明両党と自民党の共同提案に変わり、自由党の反対を押し切って成立した。
  これが今日の「そごう」問題を生み出した金融再生法の誕生である。自由党が反対した通り、原則整理から原則救済に変わったことにより、今日指摘されているさまざまの不公平、モラルハザード、国民負担の増加などを招いている。