第42回衆議院選挙(2000.6.25実施)を総括する(2000.7.3)



【自由党は法案提出権を持った野党第2党に】
  第42回衆議院選挙は6月25日に実施され、自公保3与党と共産党の議席激減、民主、自由、社民3野党の議席躍進という結果に終った。
  ただし、3与党の議席合計は、330議席から271議席に激減したとはいえ、なお安定多数を確保したので、とりあえず自公保連立の森政権が続くこととなった。
  自由党は、18議席から22議席に増加し、20名以上に与えられる法案提出権を得たうえ、野党第2党、全体で自民、民主、公明に次ぐ第4党となった。この結果、常任委員長ポストも一つ確保し、予算委員会でも3名の常任委員を出せる。他の委員会では、理事ポストも得られる。
  私は引続き、予算委員会の常任委員、および大蔵委員会の理事となる。

【1年後の参院選で「山が動く」可能性】
  自公保3与党が過半数を維持できたのは、地方の小選挙区で自民党が議席を維持したためである。東京など大都会の小選挙区と比例区全体では、過半数を割っている。
  とくに比例区全体では、180人の定員に対して、自民56、公明24、保守0、合計80と44%しかとっていない。これに対して、民主47、自由18、社民15、合計80と3野党は3与党と拮抗しており、残り20が共産である。
  このことは、比例区(全国区)のウエイトの高い1年後の参議院選挙においては、自公保3与党の合計は過半数に対しない可能性が極めて高いことを示している。その場合は、自公保連立政権が「数合わせ」の意味を失うので、衆議院において自公保連立が分解し、政界全体が激動する可能性がある。
  今回の衆議院選挙の結果、自公保連立の森政権が続き、一見「山は動かなかった」ようにみえるが、実は1年後に政界が激動し、政界再編含みで「山が動く」可能性を予告しているといえよう。

【小選挙区で二大政党化、比例区で政策中心の傾向】
  今回の総選挙では、少なくとも二つの事が、はっきりしたように思う。
  一つは、小選挙区で二大政党化への流れがかなりはっきりした事だ。小選挙区で第1党の自民と第2党の民主の候補者以外に入れても、死票となる可能性が高いので、自民と民主の候補者は比例区の所属政党票以上の票を小選挙区で得る反面、公明、自由、共産、社民の候補者は比例区の所属政党票以下の票しかとれないケースが多い。このため自民批判票は、小選挙区では野党第1党の民主に流れる傾向が強かった。これは、小選挙区制度に本来期待されていた二大政党化の機能である。
  もう一つは、第3党以下の少数政党については、政策を明確に打出した自由と社民が比例区で大きく伸び、そうでなかった公明と共産と保守と改革クラブが伸びなかったことである。

【「一将功成って万骨枯る」の保守党】
  とくに哀れをとどめたのは、保守と改革クラブである。保守は18名が7名に減り、改革クラブは5名が全滅した。保守と改革クラブの人々は、新進党のメンバーとして自由党の人々と同じ政策を共有している。それにも拘らず、小沢党首の党運営が気に入らないなどと言って分かれた人々である。このため、自由党の鮮明な政策に対して差別化することが出来ず、埋没してしまった。
  保守党の場合は、「一将功成って万骨枯る」の惨状というべきであろう。自公と選挙協力が出来れば生き残れる7人のベテラン議員に煽動されて自由党を出ていった18人のうち、11人の議員が、主に1〜2回当選議員を中心に枕を並べて打ち死にしてしまった。その多くは、自由党に残っていれば比例区で復活した筈である。
  保守党と改革クラブの1〜2回当選議員の中には、政策に通じた将来性のある議員が多かっただけに、残念でならない。

【支持組織のない4ヵ月の戦いで比例区から当選】
  最後に私自身は、東京比例区と重複して、東京第6区で初めての小選挙区選挙を戦った。重複立候補となった理由については、このホームページの「What's New」欄“鈴木淑夫、自由党の衆議院東京都第6区(世田谷区北部)の公認候補予定者に決定”(2000.2.17)を参照されたい。
  正味4ヵ月しか運動期間が無かったので、支持者の組織を作ることも出来ず、朝晩の駅頭や週末の団地、商店街などで、ただ辻立ちして政策を訴え、ビラを配るだけの戦いであった。勿論、支持母体となる業界、特定宗教団体、労働組合もない。徒手空挙で政策を主張するだけの選挙戦であった。
  結果は、30,914票(得票率12.28%、惜敗率32.92%)であった。下手な選挙をしたので、これしか取れなかったという評価も出来よう。4ヵ月間政策とキャリアを訴えるだけで、よくこれだけ取ったと言ってくれる人も居る。
  私自身としては、比例区の自由党票が東京6区で38,594票(得票率15.16%)も出たのに、小選挙区では7,680票が他候補に流れてしまい、私には30,914票しか来なかったことが悔しい。新聞などで私が弱いと報じられたため、死票になることを恐れ、民主党候補に流れたのであろうか。
  次回までにしっかりした支持者の組織を作り、次にはこのような事がないようにしたいと思っている。
  しかし、30,914票の貴重な票を戴き、供託金を没収されることもなく、無事、東京比例区から当選出来たことを心から感謝している。「日本一新」のため、自由党の政策責任者の一人として、全力を挙げたいと思う。