財政投融資制度の大改革を看視しよう(2000.4.21)



【資金運用部に対する預託制度を廃止する大改革】
  半世紀にわたって大きな役割を果たしてきた「財政投融資」の仕組を抜本的に改める歴史的な改革法案が、いま衆議院の大蔵委員会で審議されている。来週には本会議で可決されて参議院に送付されるので、この通常国会中に成立することは確実である。
  この改革のポイントは、これまで「入るを計りて出づるを制する」制度であったものを、「出づるを計りて入るを制する」制度に改めることにある。つまりこれ迄は、郵貯、簡保、年金の資金が資金運用部に預託され(入るを計る)、それを財投機関の投融資に回していたが(出づるを制す)、改革後は、財投機関の投融資規模を政策的に決め(出づるを計る)、それに必要な資金を財投債や財投機関債で調達する(入るを制す)。
  従って、郵貯、簡保、年金の運用部に対する「預託」の制度そのものが廃止される。

【私は野村総研理事長時代からこの大改革を主張してきた】
  私は平成8年10月の総選挙で代議士になる直前まで、野村総研理事長の立場で、大蔵省理財局長の諮問機関に委員として参加し、この大改革を主張してきた。解散、総選挙が遅れれば、理財局の課長補佐の案内でヨーロッパに出張し、各国の財政投融資を調査する手筈も整っていた。
  私がこの改革を主張したのは、財政投融資制度が自動的に肥大化し、「官業の民業圧迫」と「財投機関の非効率化」を招いているからである。
  敗戦直後の疲弊した日本経済において、全国に張り巡らした郵便局のシステムを利用し、零細な貯蓄資金を郵便貯金や簡易保険として吸収し、あるいは修正積立方式の年金基金を活用し、民間の投融資の対象とはならないが日本経済にとって大切な分野に投資、あるいは融資する「財政投融資」の仕組は、日本経済の発展にとって一定の役割を果たしたことは疑いない。
  ところがこの仕組が、自動的に肥大化し始めたのだ。

【財政投融資は自動的に肥大化してきた】
  それは郵便貯金、簡易保険、年金基金が著しい伸びを示し、それが自動的に資金運用部に預託され、財政投融資の規模が受動的に急増したからである。
  例えば、民間金融機関の預金と郵便局の貯金を合計した日本全国の預貯金総額に占める郵便貯金のシェアは、昭和30年代には1割にも満たなかったが、平成11年現在では3分の1に達している。これがそのまま財投機関である公的金融機関の貸出シェアに反映し、昭和30年代には15%程度に過ぎなかった全国の貸出総額に占める公的金融機関の貸出シェアが、平成11年現在では39%にも達している。

【公的金融の肥大化は官業の民営圧迫】
  公的金融は、民間金融の対象にはならないが、日本経済にとって大切な分野に融資するのがその役割である。そのような分野は、融資期間が非常に長いとか、信用リスクが高いとか、政策的な低利融資で採算に乗らないような分野であ。電力、鉄鋼、造船のような基幹産業に対する長期融資、途上国向け輸出に対する金融、住宅ローンや中小企業融資などがその例だ。
  しかし、このような分野は、日本経済の発展や、コンピュータを駆使したリスク引き下げの技術などによって、減少することはあっても決して増加していない筈である。それにも拘らず、公的金融の融資シェアが15%から39%に拡大しているということは、民間金融の対象となる分野に公的金融が進出しているからである。これは「官業の民業圧迫」にほかならない。そして、そのよって来たる根本的な原因は、急増する郵貯、簡保、年金の資金が自動的に資金運用部に預託され、公的金融の規模を拡大させるからである。

【郵貯、簡保、年金が高い伸びを示した理由】
  郵便貯金が民間金融機関の預金よりも高い伸びを示し、そのシェアを高めた理由については、既に多くのことが指摘されている。
 「定額貯金」という民間では採算に乗らないので真似のできない有利な商品を提供したこと、「公的信用」がバックにあるので倒産しないこと、郵政事業を兼務しているので「スコープ・メリット(業務多様化の経済性)」を享受していること、税金を払っていないこと、人件費が安いこと、などである。
  簡易保険の伸びが高いことについても、ほぼ同様の理由が指摘できる。
  また年金基金については、高齢者よりも現役世代が圧倒的に多い昭和20年代から最近まで、修正積立方式の下で年金基金が積み上がったという事情もある。

【財政投融資の規模を政策的に決め、財投債と財投機関債の発行で資金を調達】
  この度の大改革では、郵貯、簡保、年金は資金運用部資金への預託を廃止し、自主運用することになるので、それらの資金の伸びが自動的に財政投融資の伸びに反映されることはなくなる。「資金運用部資金」も無くなる。
  代って新たに作られる「財政融資資金」は、「財投債」という名の国債発行と政府内部の各種特別会計の余裕金を原資として、公的金融機関などの財投機関に融資する。
  また、財投機関は自ら「財投機関債」を発行して民間市場から資金を調達する。
  そして、「財投債」と「財投機関債」の発行規模は、政策的に決まる「財政投融資」の規模を反映することとなる。

【財投機関の事業内容と規模と効率の看視が必要】
  以上の大改革は、財政投融資の自動的肥大化に伴なう「官業の民業圧迫」や「財投機関の非効率化」を防ぐためであるが、新しい仕組の下では、いくつかの問題点に対して国民が看視を怠ってはならないと思う。
  第一は、財投機関の事業内容と規模を十分に公開し、官業として適切な内容と規模か(民業圧迫になっていないか)をチェックしなければならない。そして、官業として不適切であれば、その財投機関(多くは特殊法人)を廃止するか、民営化すべきである。
  また、市場における財投機関債の格付けによって、その財投機関の効率をチェックする必要がある。もちろん民業には向かない官業の分野であるから、財投機関債の格付けが極端に悪かったり、発行が不可能であったりすることもありうる。その場合には、財投債の発行で得た資金を財政融資資金から融資する必要があるが、その際に厳しく経営の効率性や規模をチェックしなければならない。

【自主運用のパフォーマンスの看視が必要】
  第二に、国民が厳しく看視すべきことは、郵貯、簡保、年金の「自主運用」である。
  民間市場において、「債券」に運用するとしているが、その中には為替変動リスクのある「外債」やデフォルト・リスクのある「社債」が含まれている。
  これらの資金は、公的信用をバックに国民から預かった大切な零細資金であるから、安全確実な運用に限定すべきである。外債への運用には上限を設けているとはいえ、このような「ハイ・リスク、ハイ・リターン」の運用はすべきではない。
  4月19日(水)の衆議院大蔵委員会での質疑において、私はそのことを政府に指摘した。しかし政府は、外債運用を止めるとは言わない。
  今後、国民は自主運用のパフォーマンスを十分に看視し、問題のある時は大きな声をあげなければならない。私も政治家として看視し、必要なら改善の努力をする。
  第三に、資金運用部に預託されていた資金が預託制度の廃止に伴なって大量に民間市場に流入し、他方では預託金に相当する規模の財投債などが大量に発行される。マクロ的にみると両者は等しいので、資金需給の逼迫や緩和は起らない筈であるが、市場間の資金の流れが不円滑であると(セグメンティションがあると)、部分的なヒッチが起るかもしれない。従って切換える過渡期には、自主運用の多くを財投債の購入に向けるなどの工夫が要る。また財投債の期間や種類の多様化を、国債管理政策の一環として進めるべきである。この辺にも国民は看視を怠れない。