鈴木淑夫、自由党の衆議院東京都第6区(世田谷区北部)の公認候補予定者に決定(2000.2.17)



【東京の比例区と小選挙区に重複立候補を決意】
私、鈴木淑夫は、2月10日付をもって自由党の衆議院東京第6区(世田谷区北部)の公認候補予定者となり、同時に自由党東京都第6総支部会長に就任した。
前回、平成8年10月の総選挙では、旧新進党の比例区単独候補となり、東海ブロックから当選させて頂いた。当時の新進党は、自民党と次期政権を争う野党第1党の地位にあったので、東海ブロックで比例区単独候補8名(私は名簿順位第2位)を当選させ、自民党の比例区8名当選と拮抗する力を持っていた。
しかし現在の自由党の国会議員数は、自民党、民主党、公明党に次ぐ第4位で、衆議院議員は39名の勢力である。全員総力を挙げて自由党の政策を訴え、来るべき総選挙に臨まなければならない。
このため私は、生まれ育った東京で、小選挙区と比例区に重複立候補する決意を固めたのである。

【40年以上のエコノミストとしての主張を実現するため政界に出た】 私は東京大学経済学部を卒業した後、34年間日本銀行に勤め、調査担当理事を最後に退職して野村総合研究所に移り、副理事長を2年、理事長を5年務めた。この間一貫してエコノミストとして過ごし、日銀時代には金融の自由化を主張してその端緒を作り、野村総研時代には日本経済の構造転換、大蔵省の財金分離などの改革を主張してきた。
しかし、野村総研時代の改革の主張は、細川内閣退陣後の自社さ連立政権の下では必ずしも現実の政策に反映されず、日本経済は長期停滞を脱することが出来なかった。
私は自分の主張を現実の政策に反映させ、日本経済の再生に直接貢献したいと考え、同じ改革の理念を掲げている小沢一郎新進党党首の下で、96年10月に衆議院議員となった。
しかしこの時の総選挙で新進党は自民党に敗れたため、橋本政権の下で私の政策的主張は実現せず、日本経済は2年連続のマイナス成長と金融危機に落込むこととなった。

【私の主張は少しづつ現実の政策に反映され始めた】
幸い98年7月の参議院選挙で日本国民の鉄槌が下され、橋本内閣が退陣して小渕内閣となり、その年の11月に自自連立合意が成立して、ようやく私の政策的主張が現実の政策として動き出した。私は自由党の政策責任者の一人として、毎回与党の政策責任者会議に出席し、すべての政府・与党の政策決定に関与している。
その一つの成果が、マイナス成長からプラス成長への転換であり、金融システム再建の始まりである。中央省庁の1府22省庁から1府12省庁への削減、大臣の20名から原則14名への削減、衆議院議員の20名削減(最終目標は衆院50名、参院50名、計100名削減)、国家公務員の10年間25%削減などの行政改革もようやく動き始めた。

【改革の志なかばで敗れるわけにはいかない】
しかし、いま始まった短期循環的な景気回復を21世紀における長期構造的な経済発展につなげるためには、まだ多くの課題が残っている。規制緩和と地方分権をもっと徹底して、簡素で効率的な政府と自立した活気あふれる民間市場経済を作らなければならない。それを基礎に、少子高齢化に耐え得る消費税方式の社会保障制度を築かなければならない。そのためには、私の信念である新保守主義を旗印として新しい保守勢力を結集し、政界再編を進めて国民に分かり易い政治に変えなければならない。志はいまだなかばである。21世紀に向けて改革を実成させたい。そのためには、皆様のお力をお借りして、来るべき総選挙で自由党が勝たなければならない。

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