何故一部のマスコミ論調は官僚主導の既定路線を擁護するのか(2000.1.5)
【官僚主導・族議員追随の既定路線対改革派議員の対決】
昨年後半に決定された介護保険制度実施の延期とペイオフ解禁の延期に対して、左翼的傾向の強い一部マスコミの論調は極めて批判的である。曰く「改革実施の先送りは許せない」「総選挙目当ての人気取りはけしからん」等々。
しかし、この二つは、第2次大戦から戦後50年間日本を支配してきた中央省庁の行政官僚群が、お手盛りの審議会を隠れみのとして企画した政策で、この動きと結び付いた自民党の族議員が既定路線通り実施しようとした政策である。これに対して、日本の改革のために官僚主導の政策決定システムを覆そうとする自民党の一部議員と自由党の多数議員が挑戦したのが、この二つの政争であった。
勿論議員の中には、保険料徴収の延期やペイオフ解禁の延期が、新たに保険料を取られる40歳以上の人々やペイオフ解禁を恐れる第2地銀、信金、信組の一部経営者に喜ばれ、総選挙の票につながると考えた人も居るであろう。
しかし、大多数の議員は、国民はもっと賢いことを知っている。単なる延期ではなく、持続性のある介護制度や安定した金融システムを構築するための延期であることを理解してもらわない限り、票にはつながらない。
【岡光氏など厚生官僚が企画し政治が追随した介護保険制度】
まず介護保険制度であるが、この制度は1995年頃、自社さ連立の村山政権の時代に、菅直人厚生大臣の下で、特養老人ホームの建設などで汚職事件を引き起こして有罪となった岡光氏を中心とする厚生官僚が考え出した制度である。それを1996年に橋本政権下の小泉厚生大臣が法案として国会に提出し、成立させた。この法案に賛成したのは、自民党のほか、閣外協力の社民、さきがけ、それに野党でありながら菅直人氏の顔を立てて民主党も賛成した。反対は野党の新進党(現在の自由党と公明党)と共産党であった。
この事からも分かるように、戦後我わが物顔で日本の社会保障制度を牛耳ってきた岡光氏のような厚生官僚が、保険料徴求、要介護認定から介護施設運用に至るまで、すべて官僚主導で行なう制度として考え出したもので、当時の自社さの政治家はただ族議員にリードされて追随したのである。
【逆進性、地域格差、不透明性のある介護保険料徴収を官僚にゆだねてよいのか】
1998年11月に自自連立政権の合意が出来た時、自由党はこの介護制度を予定通り2000年4月から実施することに待ったをかけた。しかし最終決定は99年秋まで延ばそうということになり、今回の延期決定に至ったのである。
介護サービスは、すべての日本人が高齢に達し、身体が不自由になったときに受ける権利のあるナショナル・ミニマムの保障である。しかるにその財源を、所得などの経済力に関係なく、中世の人頭税のように一人いくらと決めた介護保険料として、すべての40歳以上の日本人から徴求するとは何事か。これは所得に対して極めて逆進性の強い財源調達方法である。
しかもその保険料は、厚生官僚の指導の下に地方自治体がバラバラに決定し、40〜64歳の人については健康保険組合から、65歳以上の人については年金から、いずれも源泉徴収するので、人々はあまり意識せぬうちに介護保険料を取られてしまう。
このように逆進的で地域差もあり不透明な財源調達を、厚生官僚の手にゆだねようというのが、今度の介護保険制度の本質である。
自由党は、保険料徴収をやめ、消費税で賄うことを主張した。消費税は消費という経済力が基準なので逆進性は保険料よりもはるかに低く、地域差はなく、消費のたびに払うので源泉徴収の保険料と違って透明性は抜群に高い。
自民党と公明党の中にも消費税方式の賛成者は居るが、取敢えず今回は、保険制度の発足そのものを半年間阻止したのである。連立を維持し、自民党との政策対決を総選挙の時まで先送りしたのだ。勿論、阻止し先送りしたのは介護「保険」制度であって、介護「サービス」制度は予定通り発足させる。
【ペイオフ解禁は金融にうとい自社さ政権が大蔵官僚主導で95年に決めたこと】
次にペイオフ問題だ。2001年4月からペイオフを解禁するという決定は、介護保険制度の企画と同様に、自社さ連立の村山政権において、久保大蔵大臣の下で大蔵官僚達が95年に決定した。失礼ながら、この内閣の中には、大蔵官僚の金融行政に口を差しはさめる政治家は一人も居なかったのではないか。
しかし不幸にして、この大蔵官僚の決定の基礎にある事実認識は、まったく間違っていた。その間違いを指摘できる政治家も、自社さ3与党の中に居なかったのである。
間違いというのは、「2001年3月までに不良債権は処理され、金融機関の破綻は例外的にしか起こらなくなるので、ペイオフを解禁しても日本の金融システムに不安はない」、という認識である。
事実、96年に発足した橋本政権は、その年の春に6,850億円の公的資金を投入して、住専に対し不良債権を持っていた農林系金融機関の経営を救済した後、「住専処理は終ったので不良債権問題は峠を越した」と公言した。
【ペイオフ解禁決定当時の大蔵官僚の認識は間違っていた】
しかし大蔵官僚に振り付けられたこの認識は、まったく間違っていた。
住専に対する不良債権は、氷山の一角に過ぎない。このほか100兆円近い不良債権が一般顧客との間に存在した。それが火を吹いたのが、97年秋から98年秋までの金融危機である。都銀の一角の拓銀、四大証券の一つであった山一、三つの長信行のうちの日長銀と日債銀という超大型金融倒産を始め、地銀、第2地銀、信金、信組の倒産が相次いだ。それをかろうじて止めることが出来たのは、98年秋の自自合意に基づく60兆円の金融安定化の枠組である。
この枠組の下で、大手銀行と地銀については、不良債権処理、自己資本充実、経営再建が進んでいる。しかし第2地銀と信金の再建は遅々としており、まだ破綻しかねない経営がある。ましてや信組は2000年4月から中央政府に移管され、金融監督庁の実地検査が一巡するのはペイオフ解禁直前の2001年3月である。その過程では何が飛び出して来るかまったく分からない。
このような状況下で予定通り2001年4月からペイオフを解禁すると言えば、今年中に中小から大手へ、民から郵貯へ大規模な資金シフトが起こり、金融システムが混乱する危険性は極めて高いと言わなければならない。
【ペイオフ解禁延期は大蔵金融行政失敗の後始末】
そもそも大蔵官僚は、90年代を通じ、金融行政の失敗を次々と重ねてきたのである。まず不動産融資規制によって、バブル崩壊を加速し、混乱を大きくした。次にバブル崩壊に伴って発生した不良債権を早期に処理すべきであるにも拘らず、景気が回復すれば解決すると考えて本格的処理を98年まで先送りし、問題を大きくした。その上、不良債権処理後に実施すべき早期是正措置(自己資本比率規制)と金融ビックバンを、大量の不良債権が残っている97年から実施したため、金融機関は自衛上猛烈な「貸し渋り」に走り、景気の悪化を加速した。
本来であれば、92〜96年頃迄に不良債権を処理し、不良債権償却で傷んだ自己資本比率の是正に95年頃から取かかり、その後に金融ビックバンで経営効率の改善に一層の刺激を与えるべきであった。そうすれば「貸し渋り」も起こらないし、2001年4月にペイオフを解禁し、預金保険料を引下げて「小さな預金保険制度」を実現出来た筈である。
ペイオフ解禁の延期は、この意味で、90年代中の大蔵金融行政失敗の後始末を、政治家がつけてやったのである。
【官僚は無謬神話に固執し政策スケジュールを変えたがらない】
官僚というのは、先輩官僚が決めたスケジュールを変えたがらない。変えれば先輩の失政を公にすることになるからだ。最近の一番極端な例は、97年11月、マイナス成長が始まり、拓銀、山一の大型金融倒産によって金融危機がスタートを切ったその時に、2003年まで減税を認めず、毎年歳出を削減する「財政構造改革法」(いわゆる「財政再建法」)を国会に提出し、成立させた事である。誰の目にも明らかな暴挙であり、愚行である。それにも拘らず大蔵官僚は橋本政権を説得し、スケジュール通り法案を提出し、可決させた。日本経済よりも、日本の金融システムよりも、「官僚の無謬性」という神話を守り、先輩の面子を立てる方が大蔵官僚にとって大切なのである。
【95年に官僚主導で決定した既定路線が何故「正義」か】
昨年の介護保険制度とペイオフ解禁の延期は、無謬神話を守ろうとする官僚主導の既定路線に対する政治家の抵抗であった。そのまま通せば、逆進性、地域格差、不透明性に満ちた介護保険がスタートし、21世紀に向って介護サービス制度そのものが維持できなくなると判断したから政治家が抵抗したのである。あるいは、そのまま通せばペイオフ解禁を前にして、中小金融機関の破綻と資金シフトによる金融システムの動揺が起きると判断したから、公明党の反対を押し切って自自連立の力で阻止したのである。
それに対して、95年という時点で決った官僚主導の既定路線を守ることが「正義」であり、延期することが改革に反対するかの如き論調を展開している左翼系のマスコミ紙や、それに乗せられているTV報道は、真剣にこの問題を考えたことがあるのか。
官僚主導の「失われた90年代」は終ったのだ。官僚に依存するのではなく、国民を代表する政治家によって、21世紀に向けた構造改革を推進しなければならない。マスコミも選挙対策などと皮相なとらえ方をせず、もっと政策の本質をその決定プロセスにさかのぼって考えて欲しい。5年前の1995年に、誤った認識に基づいて、官僚が審議会を隠れみのにして決定し、族議員が追随したことを見直す方が「正義」であり、真の「改革」ではないのか。