供給側を改善するだけでは日本経済の再生はない (99.5.21)


【企業再編、雇用、土地に目を向けた供給政策】
  小渕総理の諮問機関である「産業競争力会議」を中心に、日本経済再生のための「供給政策」の議論が活発である。
  経団連も「わが国産業の競争力強化に向けた第1次提言」を発表し、産業競争力会議のメンバーである今井経団連会長をバック・アップしている。また官僚の側では、通産省が会議の席上にさまざまの資料を提出し、議論の方向付けを行っている。
  これらの内容を整理すると、大きく次の三つの対策に分かれる。
  第1は、企業の合併や分社化、過剰設備の除却などを容易にし、企業のリストラを支援する競争力強化策、第2は失業者の再訓練や新規雇用機会の創出などの雇用対策、第3は遊休不動産の有効活用や流動化などの土地対策である。これらはいずれも、日本経済の供給サイドを改善して日本経済の再生を援けようとするものだ。

【設備、雇用が過剰な原因は需要不足にもある】
  これらの供給政策に共通する経団連や通産省の認識は、日本の産業が設備、雇用、債務の過剰を抱えて元気がないので、設備の除却、雇用の移動、債務の処理(そのための土地活用)などを支援して競争力を回復させようということのようだ。
  しかし、よく考えなければならない事は、設備と雇用と土地の過剰は何故発生したのかということである。原因は二つある。
  第1は、短期的には5四半期連続のマイナス成長、長期的には90年代に入ってからの潜在成長率以下の低成長で、GDPの10%近い需給ギャップが発生していることだ。
  第2は、情報通信を中心とする急速な技術革新によって需要構造が大きく変わっているため、供給構造がその変化に追い付けず、設備の陳腐化と不足の共存、労働者のミスマッチ、土地利用の偏りが発生していることだ。
  いま議論されている供給政策が有効に効く対象は、この第2の原因による設備、雇用、土地保有の過剰だけである。

【供給政策の実施は需要減退と一層の過剰を生む】
  しかし、第1の需要不足に対する過剰に対して、供給側の設備、雇用、土地利用を削減して需要水準にマッチさせたところで、日本経済が再生する訳ではない。縮小均衡でますます元気が無くなるだけでのことである。
  また、第2の原因による過剰であっても、これに対する供給政策は、短期的には設備投資の抑制、失業増加に伴なう消費の沈滞、地価の下落に伴なう負の資産効果を生み出す。これらはいずれも、需要を減少させ、第1の原因による過剰を一層激しくする。
  要するに、第2の原因による過剰の対策であっても、長期的に日本経済の供給側を改善して効率を高め、競争力を高めはするが、短期的には需要不足を一層激化し、経済再生どころか経済危機を深めるだけのことである。

【新古典派とは程遠い流動性のワナ・投資の利子非弾力性の状態】
  長期的な成長率を決めるのは、供給側の能力であるから、供給政策を実施して供給能力を高めれば、経済は再生すると思っているのであろうか。現在の日本経済のように需要側が自律的な回復力を失っている時には、供給側をいくら改善してみても、供給能力に見合った需要が出てくる訳ではない。従って経済は回復しない。供給政策だけで経済が発展するのは、需要が自律的に供給に追い付く(均衡を回復する)「新古典派の世界」だけである。
  いまの日本経済は、短期金利は殆どゼロ、長期市場金利は1.3%、マネーサプライ増加率はマイナス成長下であるにも拘らずプラス4%という超金融緩和の状態であるのに、民間需要が増えて来ないのである。これは、ケイズの言う「流動性のワナ」「投資の利子非弾力性」の状態であり、「新古典派の世界」とは正反対である。
  このような時は、需要喚起策がない限り、総需要は回復せず、供給側をいくら改善しても使い途のない「過剰」のままになる。

【需要喚起策があって始めて活きる供給政策】
  小渕内閣と自民党が、供給政策だけで日本経済が再生し、本年度の0.5%プラス成長も実現するという誤った認識に陥らないよう、私は毎週火曜日の自自政策責任者協議で、自民党の池田政調会長にくり返し指摘している。
  供給政策と需要政策が相まって、始めて日本経済が再生するという認識では、池田政調会長も同じである。あとは、どのようなタイミングで、どのような需要政策を追加するかという点に絞られる。
  私は@公共事業予備費5000億円の活用を含む整備新幹線・関空2期・中部国際空港など国家的プロジェクトの完成時期繰り上げを目指す前倒し実施、A小中学校へのパソコン配布、ネットワーク化のための校舎改築、指導者養成、B海上保安庁高速艇の即時建造開始、C保育所拡充等子育て支援対策、などを本年度下期から実施すべきだと考えている。
  これらは、いずれも需要誘発効果が高く、しかも財政難の地方公共団体に頼らずに実施できる。