財政・金融分離問題の真相 (99.3.8)

【財・金分離協議は自由党の参加で新局面に入った】
  昨年10月1日に自民、民主、平和・改革(現公明・改革)の三会派の間で合意した筈の財政・金融分離問題が、先週3月4日(木)の協議で突如暗礁に乗り上げた。
  この協議は、当初、合意書に署名した津島雄二(自民)、中野寛政(民主)、坂口力(公明)の三氏の間で行なわれていたが、前々回の2月26日(金)から、自自連立という現実を踏まえ、自由党を代表して私が、津島氏をアシストする形で参加している。これで事実上、四会派の協議に変っていた。
  その2回目に、合意書に束縛されずに発言できる自由党の参加に触発されたのか、自民党の津島氏が合意書に反する主張を行ない、これに民主党の中野氏と公明党の坂口氏が激しく反発し、協議は決裂して暗礁に乗り上げたのである。

【財・金分離の覚書は野党案丸呑み時代に生まれた】
  昨年10月1日に3会派の津島、中野、坂口の3氏が署名した「覚書」には、次のように書かれている。
  「金融再生委員会の設置に伴う財政・金融の完全分離及び金融行政の一元化は、次期通常    国会終了までに必要な法整備を行い、平成12年1月1日までに施行する。」
  この「覚書」は、自民党が参議院選挙に大敗した直後の昨年夏、第143回臨時国会において、野党共闘に押しまくられ、政府・自民党が野党案を丸呑みして金融再生法を成立させる過程で生まれた。この時自由党は、金融再生法のあいまいな修正内容に反発し、当初案の提出者でありながら野党共闘から離脱し、金融再生法に反対したので、この「覚書」には参加していない。

【中央省庁改革大綱は自自連立の中で生まれた】
  その直後の昨年10月中に、今度は民主党を除外し、自民、自由、公明の3会派で金融健全化法を成立させ、民主党は反対に回った。更にその直後の11月19日に小渕・小沢合意が成立し、本年1月の自自連立内閣が発足する。
  その自自連立内閣は、1月26日に「中央省庁等改革に係わる大綱」を決定した。そこには次のように書かれている。
  「2001年1月1日に金融庁と財務省を発足させ、金融システム改革の進捗状況等を勘 案し、当分の間、財務省が金融破綻処理制度ないし金融危機管理に関する企画立案の任務 及び機能を担う。金融庁は財務省が所掌するものを除く国内金融の企画立案を所掌する。」
  以上の中央省庁改革大綱の内容は、一読して分かるように、昨年10月の財・金完全分離覚書とは矛盾しているのである。

【財・金分離覚書と中央省庁改革大綱はもともと矛盾している】
  「大綱」は、当分の間、「金融破綻処理制度ないし金融危機管理に関する企画立案」は、財務省が主、金融庁が従で共管、「これを除く金融一般の企画立案」は金融庁が主、財務省が従で共管だと述べている。これは、「覚書」のいう金融再生委員会による財・金完全分離や金融行政一元化とはまったく異なっているのである。
  先週3月4日(木)に自民党の津島氏が言い出したことは、将にこの「大綱」の線であり、自民党員としては当然のことを述べたに過ぎない。しかしその津島氏自身は、野党案丸呑み時代の昨年10月1日に、これと矛盾する内容の「覚書」に署名している。つまり、「大綱」と「覚書」の矛盾が、自民党員としての津島氏と署名者としての津島氏の矛盾に投影されているのである。
  津島氏が追い込まれたこの二重人格性に対して、民主党と公明党が怒ったのである。つまり署名しているにも拘らず「覚書」をホゴにするような発言をするとは何事かという訳である。

【自由党は一貫して中央省庁改革大綱の立場を主張】
  これに対して、自由党を代表して参加した私は、1回目の2月26日にも、2回目の3月4日にも、「覚書」には縛られない立場なので、一貫して「大綱」の立場から次のような主張を述べた。
  第1に、バブル経済の清算と金融ビックバンの推進に伴ない、金融システムの動揺は当分続くので、「金融破綻処理制度及び金融危機管理に関する企画立案」は、当分の間共管とするべきである。急流で馬を乗り替えるような組織変更は行うべきではない。
  第2に、不良債権早期処理や経営リストラを条件に公的資本を注入し、日本の金融再生を図る金融再生委員会の仕事は、今年1年で終わるとは到底思えない。従って、金融再生委員会は来年も仕事を続けさせ、金融庁が発足する平成13年1月1日に繰上げて廃止し(法律では同年3月31日まで続く)、金融庁に一本化すべきである。
  自由党を代表するこのような私の主張に対して、中野、坂口の両氏は格別反論はしなかった。それに勇気づけられて、津島氏は自民党本来の主張をしたのかも知れない。しかし、「覚書」と関係ない私と、「覚書」に署名している津島氏とでは、同じ事を言っても民主、公明両党の反応が異なるのは当然であろう。

【自民党は公明党に対し何らかの政治的譲歩が必要か】
  ここ迄こじれた財政・金融分離問題は、政治論と政策論の両面から整理すべきである。
  まず政治論からみると、「覚書」は昨年夏の野党案丸呑み時代の残滓であり、自民党としては早くホゴにしたい喉にささったトゲである。自自連立時代となった現在は、政府と自民・自由はすべて「大綱」の線で処理したい。
  しかし、「覚書」は公党間の約束であり、何の政治的反対給付も無しにホゴにすれば、自民対民主・公明の間に深い不信の溝が出来る。それは今後の国会運営に支障を来たすであろう。
  特に自民、公明両党の間では、自民がこの「覚書」に署名し、公明が直後に出てくる金融健全化法(自民提出)に賛成するという政治的裏取引があったようだ。そうだとすれば、自民党は公明党に何らかの新しい政治的譲歩をしない限り、「覚書」をホゴにすることは大きな危険をおかす事になる。他方民主党とも、徹底的に対決する覚悟がなければ、ホゴには出来ない。少なくとも「大綱」と「覚書」の中間で政治的に妥協する努力が要る。

【金融庁になじまない金融行政の分野もある】
  次に政策論としてみると、もともと「覚書」の財・金完全分離や金融行政一元化には無理なところがある。
  将来の金融庁は、現在の金融監督庁や金融再生委員会の仕事を引継ぎ、金融機関の検査その他の監督、預金者・契約者・投資家の保護、証券市場取引の公正維持など「事後看視型のルール行政」を担うことになる。現在のような金融機関の破綻処理や公的資本注入の判定のような「事前介入型の裁量行政」は、将来は極めて例外的になっているであろう。金融の再生や健全化が終れば、そういう事はあまり起こらない筈だからだ。
  他方、金融行政の中には、通貨の発行及び管理や国際金融・外国為替相場・為替管理などの行政がある。
  前者には、政府硬貨や日本銀行券の様式決定、日本銀行政策会議への出席、日本銀行に対する認可・承認・届出受理の行政などが含まれている。後者には、為替介入などの国際協調、海外投融資等の仕事も入る。
  これ等の仕事は、金融庁の事後看視型ルール行政よりも、財務省の政策金融、財政投融資、国庫金の出納、国債管理などに近く、補完的関係にある。従って、これらを含めて財・金完全分離、金融行政一元化を図るのは、かえって行政組織の機能を混乱させるのではないか。

【財・金分離は利益相反か補完的かで判断すべし】
  そもそも財・金完全分離、金融行政一元化の主張は、金融機関の検査・監督、預金者・契約者・投資家の保護、証券市場取引の公正維持など本来「事後看視型のルール行政」を行うべき分野で、大蔵省が財政政策上の配慮を優先させて「事前介入型の裁量行政」「護送船団行政」を展開し、金融危機を招いたためである。いわば大蔵省金融行政の度重なる失敗や大蔵官僚のスキャンダルに対する批判に端を発している。
  これらの失敗やスキャンダルは、財政政策との間に深刻な利益相反の存在する金融行政の分野で、「事後看視型ルール行政」を行わず「事前介入型裁量行政」を行っていたことから起った。従って、これらの金融行政分野を大蔵省から分離し、金融庁に移すのは当然である。

【政策論から見れば「覚書」は行過ぎ、「大綱」と妥協の余地】
  しかし金融行政の分野には、財政政策と補完的であり、事前介入型の企画立案になじむ分野もある。それが通貨の発行管理、国際金融など前述の分野である。これらは、財政政策を担当する財務省に残した方が、機能上補完し合ってうまく行くし、利益相反も少ない。
  念のために付け加えるが、通貨の発行管理と言っても、現金通貨のデザインや呼稱のような話であって、通貨量を調節するマクロ金融政策は、新日銀法によって日銀政策委員会が独立して決定する。大蔵大臣には議決延期提案権しかないので問題はない。日銀関係の認可・承認も、金融政策の内容ではなく、定款変更や経理の仕方など技術的な話である。
  以上のように考えると、政策論としては「覚書」の財・金完全分離や金融行政一元化はやや行過ぎであり、「大綱」の線が望ましい。しかし政治論としては、公党間の約束である「覚書」をホゴにすればそのコストは高くつく。何らかの政治的取引によって「覚書」と「大綱」の中間に着地させる(例えば金融機関の破綻処理など金融一般の企画立案は当分の間共管とし、将来は金融庁に一元化)か、敢えて政治的に対決する覚悟が必要になるのではないかと思う。