第143回臨時国会の総括と自自公の意味(98.10.30)



【会期前半は野党による政治主導の展開】
  異例づくめの第143臨時国会は、1週間の会期延長のうえ、10月16日(金)、79日間の会期を了えた。
  この国会は、7月30日から開かれ、夏休み返上で秋の深まる頃に終わったという点で、まず時期的に異例の国会であった。金融問題の処理が切羽詰まっていたためだ。
  しかし何よりも異例であったのは、冒頭の首班指名において、衆議院が小渕首相、参議院が菅首相を指名したことだ。7月の参院選で自民党が過半数を失ったためであるが、これがその後の異例の審議経過を暗示していた。
  会期前半には、菅首相に投票した民主党、平和・改革、自由党の野党3会派が結束した。1ヵ月に及ぶ野党3会派の「実務者協議」と「政策責任者協議」の結果、野党3会派は金融機関の破綻処理の枠組みについて合意に達した。政府・自民党提出の金融安定6法案に対抗して、野党3会派は金融再生4法案と信用保証協会法等改正案の5法案を共同提出した。
  私は自由党の実務者として終始野党協議に参加して法案作成に関与し、自由党を代表して法案提出者の1人となった。このため、衆議院の金融安定化特別委員会で6回、参議院の本会議で1回、参議院の金融経済特別委員会で4回、計11回も法案提出者席(通常は大臣の席)に座って与野党議員の質問に対して答弁した。
  参議院でも答弁することになったのは、政府が自ら提出したブリッジバンク法案を取下げ、野党3会派提出の金融再生4法案にブリッジバンク方式を付け加える形で共同修正し、衆議院で可決、成立させたからである。これが、所謂「野党案丸呑み」である。
  この法案修正、成立過程は、政府提出法案が取下げられ、野党の議員立法を与野党が共同修正したという点で、憲政史上異例の出来事である。その過程では、野党議員が衆議院法制局を使って立法し、内閣法制局や大蔵省などの官僚があまり関与しなかったという典型的な「政治主導」であった。

【会期後半は民主党の失敗で野党結束にほころび】
  野党3会派の共同提出法案を政府が「丸呑み」し、その修正過程では8月、9月の2ヵ月にわたって野党第1党の民主党に引きづり回された自民党、平和・改革、自由党は、会期の後半に入って違う動きを始めた。ここから野党3会派の結束がほころびたのである。

  そのきっかけは、第1に、菅民主党党首が「長銀問題は政局にしない」と述べたことである。それまで政府は、「長銀が破綻したら日本発の金融恐慌が起こり兼ねない」「長銀は債務超過ではない」「長銀には公的資金を注入し、住友信託と合併させて救済する」といい続けていた。しかし実際には、長銀は債務超過であり、公的資金を入れるわけにはいかず、住友信託との合併話も白紙に戻り、公的管理によって破綻処理されることになった。それにも拘らず、日本発の金融恐慌どころか、市場の動揺も起きていない。小渕首相、宮沢蔵相を始めとする政府の国会答弁は、食言となった。
  これを追求すれば、小渕内閣は間違いなく退陣に追い込まれたであろう。ところが野党第1党の菅党首が「政局にしない」と言ったばかりに、それが出来なかった。小渕内閣を倒せば、自民党の反執行部派の動き次第では、、菅内閣が出来たかもしれない。菅直人は「長蛇を逸した」のである。菅首相の芽は消えた。
  そうなると第2に、首班指名で菅直人と書いた平和・改革と自由党は白けてくる。特に金融再生法案の修正過程では、民主党が独走して政府・自民党と勝手に交渉し、野党3党合意を逸脱する妥協をした。それは、破綻金融機関を公的資金で救済しないという3党合意にも拘らず、預金保険法上の破綻宣告なしに破綻しかかった銀行を国有化し、公的資金で不良債権を取除いた上、再び民間に売却するというルートを自民党との法案修正によって開いたことである。これは政府・自民党が、長銀処理を頭に置いてやったことだ。
  自由党はこの野党合意違反を政策の基本に係わるものとして重大に受け止め、金融再生法案の修正交渉から離脱し、修正部分に対してのみ反対票を投じた。

【部分連合方式に転じた政府・自民党】
  民主党の独走に不信感を抱いたのは、首班指名で菅直人と書いた平和・改革や自由党だけではなかった。修正過程で次々とバーを引上げ、くるくると意見が変わり、党首と実務者のどちらの意見が正式か分からない「司令塔不在」に引きずり回された自民党は、民主党に対して決定的な不信感を持った。後半国会に入って自民党は、民主党を除く他の野党と法案ごとに修正協議を行ない、成立させる戦術に転じた。
  その結果、金融早期健全化法案は平和・改革及び自由党と、旧国鉄債務処理法案は自由党及び社民党と、それぞれ自民党提出法案を共同修正して成立させた。また破綻金融機関の借り手中小企業に対する信用保証の拡大・充実については、自民党と自由党が合意して法案を作成、それに民主党と平和・改革が相乗りして共同提出し、成立させた。この一連の動きが、所謂「部分連合」方式である。この間民主党は、完全に主導権を失った。
  このうち金融早期健全化法案の成立過程が最も劇的であった。
  金融再生法案の成立によって、13兆円の資本投入を用意した金融安定化法案の廃案が決ったため、自民党は大きな危機感を持った。他方自由党も、不良債権問題で最も大切なことは、金融再生法案が対象としている破綻金融機関の処理ではなく、生きている金融機関の不良債権を早期に処理し、金融システム全体を再活性化することだと考え、その案を持っていた。
  自民党は当初、平和・改革に対して自民党の金融健全化法案の概要を示したが、平和・改革は単独で自民党と合意案を作ることを嫌った。そこで自民党は、自由党に接触を求め、金融システム健全化について両党の案を示し合い、協議することを求めてきた。9月30日(水)から10月2日(金)の3日間に5回、自民党から池田政調会長(電話)と丹羽政調会長代理、自由党からは藤井裕久代議士と私が出て協議を重ねた上で、10月5日(月)には自民党の金融健全化法案が発表された。
  この当初案に対して自由党は、不良債権早期処理によるシステム健全化が法律の目的であることを明示すること、公的資本注入の前提は、資産査定、それに基づく引当て、その上での経営再建計画、それからの開示などであることを明示することなどの修正要求を野中官房長官、加藤前幹事長、古賀国対委員長と自由党幹部との協議(10月8日)で行った。
  10月12日(月)朝、自民党はこれらを受け入れた修正案を提示してきたので、自由党は自民党との党首会談をその日の夜に開いて共同修正に応じ、平和・改革も乗って3党共同修正案が翌13日(火)の金融特別委員会に提出された。私は自由党を代表する法案提出者の1人として答弁を行ない、修正案は可決され、その日のうちに本会議に緊急上提されて採決され、参議院に送られた。またこの日の夜7時から予算委員会が急きょ開かれ、第2次補正予算案(金融再生勘定18兆円、金融健全化勘定25兆円の政府債務保証)が提出され、自由党を代表した私の賛成討論などの後、可決され、直ちに夜9時30分からの本会議に緊急上提され、可決成立した。
  延長した会期末まで14〜16日(金)の3日間を残して衆議院を通過した金融健全化法案を成立させるため、私は自民党、平和・改革の法案提出者と共に再び参議院の金融経済特別委員会の法案提出者席に2回、延8時間座り、答弁を行った。そして最終日の16日(金)に、参議院の本会議で同法案と第2次補正予算案が可決、成立した。

【部分連合か自自公かは政策協議次第】
  以上のようにして、第143回臨時国会では、衆議院の委員会での質議6回、延4時間10分に対し、衆参両院の委員会と参議院本会議の答弁席に座ること14回、延48時間という貴重な経験をした。
  また自由党を代表する実務者として、また時には政策責任者代理として、合意案作成の野党協議、修正案作成の与野党協議に数えきれない程参加し、党首を含む党内の党議決定の場にも何回か参加した。政治の決定プロセスを充分に体験できた貴重な国会であった。
  更に、継続審議となった野党3会派提出の信用保証協会法等改正案については、自由党と自民党の間で協議会が設けられ、破綻金融機関の借り手企業に対する信用保証を中堅企業にまで広げる法案を明年の通常国会に提出する準備をする。私は自由党側のメンバーとして、これに参加する。
  政府・自民党は、民主党に1ヵ月以上引づり回された前半国会と、自由党などの短期の政策協議が実った後半国会の経験から、案件ごとに協力する野党がくるくる変わる「部分連合」にこりて、次期臨時国会(11月末か12月初から2週間程、景気対策を追加する第3次補正予算の審議など)までに、「政策の自由党」および「数の公明党」との間で固定的な協力関係を築くことを模索し始めた。所謂「自自公連合」である。
  しかし、単なる数合わせではなく、政策協定が確り結べない限り、自由党はこの話には乗らないであろう。自由党が主張する日本の改革、それにつながる経済の再活性化の政策体系に、どこ迄自民党が近寄るかによって、すべてが決るであろう。