小渕新首相の所信表明演説のどこが問題か (1998.8.10)

【国民に対する説明責任を欠く小渕首相】
8月7日(金)、小渕新首相が衆参両院でそれぞれ所信表明演説を行った。これを受けて国会では、10(月)〜11(火)の両日は衆議院で、11(火)〜12(水)の両日は参議院で、各党の代表質問が行われる。そこでは様々の問題点が指摘されるであろうが、私は少なくとも次の3つの点で、この所信表明には大きな問題があると思っている。
第1は、財政構造改革法を凍結して6兆円超の恒久減税を実施し、経済を再生させると胸を張ったが、そこには国民に対する「アカウンタビリティ(accountability、説明責任)」のかけらもない。
憲法第66条によれば、内閣は連帯して責任を負うのであるから、小渕新首相は橋本内閣の外務大臣として、橋本内閣が行ってきたことには連帯責任を負っている。その橋本内閣は、2ヶ月前までの通常国会では野党が共同提出した財革法凍結法案に反対して潰し、また1ヶ月前の参院選の最中までは野党の主張する恒久減税を否定し続けてきたのに、ころりと変って恒久減税を言い出した。橋本内閣が野党の主張してきた財革法凍結法案と恒久減税に反対し続けた理由は、財政赤字の縮小が緊急に必要な最優先課題だという主張である。

【財政再建最優先の主張はどうなったのか】
小渕新首相は、橋本内閣の閣僚として、この主張に対して連帯責任を追っている。従って、今回財革法を凍結して恒久減税を実施するにあたり、財政赤字の縮小が緊急に必要だという認識、主張はどうなったのか、国民に説明する義務がある。認識が誤りだったのか、嘘をついていたのか、2つに1つしかありえない。
だから説明したくないというのであれば、民主主義の基本である「アカウンタビリティ」を欠く無責任な首相という他はない。
それとも、財政再建をあきらめてしまったのか。そうだとすれば、無責任極まりない。
正しくは、財政再建が待った無しの緊急性を帯びているという認識や主張が間違っていたのである。公的債務は500兆円あるが、反面で公的金融資産が400兆円以上あり、公的債務のネット残高は100兆円弱である。将来、団塊の世代のトップが60〜65才に到達する2006〜2011年からは、現在増え続けている社会保障基金の取り崩しが始まるので公的金融資産は減り始める。しかしそれまでの10年間程は、財政政策で日本経済を再生させる余裕があるのだ。それを説明して、今迄主張の間違いを謝らない限り、小渕内閣は信用されないし、国民は安心できないだろう。

【年内の景気に対する危機感がない】
所信表明演説の第2の問題点は、6兆円超の恒久減税も事業規模10兆円の第2次補正予算も、来年1月から始まる次の通常国会に法案を出すと言っていることだ。このことは、年内は何の景気対策も国会に提出しないし、恒久減税も第2次補正予算もその効果が出てくるのは来年度以降と言うことを意味する。それで今年の日本経済はもつのか?
このホームペジの「月例景気見通し(8月版)」に詳しく書いたように、現在、設備投資が急激に落込み始めている。設備投資は公共投資の2倍近い規模を持ち、経済全体への波及効果は最も大きい需要項目である。この設備投資が落ちてきた時は、公共投資拡大の景気対策を打っても景気が立直らないことは、91〜93年の平成不況時の経験が示している。
今年、98年も、設備投資が急落し始めたので、98年度当初予算の公共投資前倒しと第1次補正予算の公共投資追加では、上期のマイナス成長を下期に僅かのプラス成長に戻すのが精一杯であろう。これでは不況のままであり、失業率の上昇、企業倒産の多発は続く。その結果、国民生活に何が起きるか。小渕首相の所信表明にはその危機感が全くない。

【金融システムの危機管理体制が抜けている】
国民生活は、これ以上の倒産と失業で一段と脅かされ、幸い職場に止まった人々も、時間外とボーナスのカットで収入は落ちる。しかし何よりも国民が不安に陥るのは、金融システム危機が発生した場合であろう。
所信表明の第3の問題点は、この金融システム危機発生時の危機管理体制が全く抜け落ちていることである。在るのは、金融再生トータルプラン関連の法案を早く成立させて欲しいと言う野党への要望だけだ。
しかし、ブリッジ・バンク法案を成立させ、あるいは権利調整委員会法案を成立させたところで、金融システム危機を防ぐことも出来ないし、万一危機が発生した場合に適切に対処することも出来ない。本来これらの法案は、金融システムの危機管理を頭において作られたものではないからだ。
宮沢蔵相自身、蔵相就任前のフリーな立場にいた時、ブリッジ・バンクは大銀行破綻の際には使えないと言っている。その通りで、金融機関が破綻した際に金融管理人を選任して派遣し、善意かつ健全な顧客を選別して融資を続け、国営ブリッジ・バンクに引き渡すなどと言う政府案は、第2地銀以下の中小金融機関の破綻のような小規模なケースにしか使えないことは、金融専門家にとっては常識のようなものである。どこの世界に、大銀行の経営を管理できるような弁護士や公認会計士が居ると言うのか。

【大銀行が破綻したらどうなるか】
しかし、今差し迫っているのは、大銀行19行の一角が破綻するのではないかと言う危険性である。その時、既に用意した17兆円の公的資金で預金者は保護されるかもしれない。しかし、破綻大銀行の劣後債を保有している生命保険会社や金融債を保有している農協はどうなるのか。現行法体系の下では、破綻金融機関の劣後債や金融債の支払いは保証されていない。ただでさえ経営が危機に瀕している生命保険会社や農協は、これによって連鎖倒産するのではないか。その場合の国民生活への影響は測り知れない。
これが起こりうる金融システム危機なのである。
このような悲劇と混乱が起きる可能性を口にしたくはないが、小渕内閣の下では今年の日本の不況が一段と深まる以上、その可能性を考えざるを得ないのである。そして、そのような金融システムの危機が万が一発生した場合に備えて、危機管理体制を整えようとしない小渕新首相の呑気な所信表明演説にも、より根本的な日本の危機を感じるのである