梶山静六「日本興国論」を評定する (1998.5.11)

【橋本政権の総合経済対策よりは筋が良い】
98年6月号の『文藝春秋』に発表された梶山静六「日本興国論」が今注目を浴び、各方面で話題になっている。橋本総理の後継候補の一人である自民党内の実力者が、橋本政権とは異なる経済危機対策を発表したのであるから無理もない。
しかし内容的には6ヶ月前に『週刊文春(97年12月4日号)』で発表した「わが日本経済再生のシナリオ」と基本的には同じである。2〜3年間は不良債権処理を最優先すべしという提案で、6ヶ月前に発表した具体的手順を再論している。今回新たに付け加えられた注目すべき発言は、その間は財政構造改革法を 凍結し、不良債権一掃が済んで日本経済が立直った後に、財政再建に取り掛かるとしている点である。これは現在の野党(民主、平和・改革、自由、共産の各党)の主張と共通している。
この政策提言は、政治家のものとしては比較的筋が良い。背後に民間の証券系調査機関の専門家がいるのであろう。4月27日付のWhat's New「橋本総理の総合経済対策を評定する」で評定した橋本政権の16兆円の総合経済対策が100点満点で20点の落第点とすれば、これは70点程度の合格点である。
しかし、次のような問題点もあるので、80点以上の「優」とは言い難い。

【不動産再評価益の損益通算を認めよ】
この案のポイントは、@不良債権の情報開示を徹底した上で、全銀行に強制的に貸倒引当金(債権償却特別勘定)を積ませる、Aその結果、自己資本比率が所要水準(4%又は8%)を下回った銀行については、債務超過の場合は経営を整理し、債務超過でない場合は厳しい経営健全化計画を義務づけた上で、公的資本を注入する。
さてこの案の問題点は、一気に不良債権を処理する引当金の積立てを強制すれば、自己資本比率が、所要水準以下に低下する銀行が軒並みに並び、公的資本注入を受けて当局の管理下に置かれてしまう銀行が著しく増えることである。債務超過で整理される銀行も数知れないであろう。事実、梶山氏は「現在ある146行の銀行は、最終的には半分以下にならざるを得ないでしょう」などと物騒なことを書いている。
しかし多くの銀行は、目抜き通りに店舗を持っているので、地価がこれだけ下がっても、昭和40年代までに取得した不動産の含み益を持っている。この含み益 を自己資本に計上しない理由は、再評価益に課税され、含み益=含み資本が流出してしまうからである。梶山案を強行すると、このような含み益=含み資本を表面化すること無く、みすみす整理されたり当局の管理下に入る銀行が増える。
企業会計、税務会計が共に「時価会計」に変るのは世界の趨勢である。不動産の含み益は、いずれにせよ表面化せざるを得ない。
そうだとすれば、この2〜3年間に限り、不動産含み益を不良債権の引当に使う場合についてのみ損益通算を認め、非課税とすることを認めるべきである。
この政策を加えた時、初めて梶山案は現実的な案になる。そうでなければ、「銀行いじめの銀行半減政策」になり兼ねない。

【不良債権早期処理は危機克服の十分条件ではない】
第2の問題点は、不良債権の早期処理のみで、日本経済の危機が救われると主張していることだ。
当局の経済危機は、バブルの崩壊に伴う「金融不況」という性格を持っており、不良債権の早期処理を実施しなければ日本経済が立ち直れないことは確かである。しかし不良債権の早期処理は、経済危機克服の「必要」条件であって、「十分」条件ではない。そこを梶山氏は見落としている。
不良債権以外にも、日本経済を構造的危機に陥れている要因は沢山ある。明治以来の、そして特に戦後の追いつき型システムに内在する過剰規制、黒字法人と中・高所得者に対する高い税率などが、日本経済の空洞化を促進している。規制緩和の徹底によるビジネス・チャンスの拡大と行政の簡素化、および法人課税の実効税率の引下げと所得課税の限界税率の引下げとフラット化を急がなければ、民間市場経済に活力が戻らない。
更に当面の不況には、「循環的」要因もある。9兆円の国民負担増加と3兆円の公共投資削減を含む97年度当初予算と、財政構造改革法によって実施に移された大規模な「負のケインズ政策」がその要因である。
当面の循環的不況の克服と、中期的な構造的不況の克服を同時に実現するためには、不良債権早期処理のみでは不十分で、法人課税・所得課税の10兆円恒久減税、及び規制緩和と行政簡素化の徹底が欠かせない。

【率直に政府・自民党の失政を認めよ】
最後に、梶山氏が政府・与党のメンバーであるためか、事実認識に誤りがある。
「日本興国論」の冒頭で「わが国の政治に危機感があまりにも希薄であったこと、また現在も希薄であることを痛感しています」と述べているが、希薄であったのは「わが国の政治」ではなく、「政府・自民党」であることを明確にすべきである。
また中頃では「誰も本当の中身を調べてみようとせず、目を覆ってなるべく金融界を見ないようにしてきたのです。金融は住専を処理すればもう心配ないという大蔵省の説明を鵜呑みにした私たち政治家が、責任を逃れる術はありません」と書いているが、ここでも「誰も」とか「私たち政治家」というのは間違いで、 「政府・自問党の中で誰も」とか「私たち政府・自民党の政治家」と言い直すべきである。
私は旧新進党を代表して、97年1〜6月の通常国会でも、10〜12月の臨時国会でも、予算委員会、大蔵委員会、税制改革特別委員会などの質疑の際に、「97年度超デフレ予算の執行によって日本経済が景気後退に陥るのは必至であり、その場合は不良債権問題が一段と深刻化し、住専処理の際に作った金融3法の枠組みでは金融システムの安定は維持できない」と繰り返し警告した(たとえば97年2月10日予算委員会、4月3日衆議院本会議、4月9日大蔵委員会、11月28日付大蔵委員会…5月18日付What's New参照)。
97年通常国会では、梶山氏は官房長官であったから、私と橋本総理などとの質疑を聞いていた筈だ。国会の廊下であった際、「一度話を聞きたい」とも言っていたではないか。
その梶山氏が、政府・自民党の不明や、それに基づく結果責任を、旧新進党など野党を含む日本の政治家全体の不明や責任にすり替えることは止めてもらいたい。梶山氏のためにも惜しまれる。