はじめに この本は、戦後70年の日本の金融経済の歩みを整理し、次々と変化する経済発展の諸相と国際経済との係わりに対応し、先人達が如何に試練に耐え、新しい事態に創意をこらして挑戦してきたかを描く。そこには成功もあれば失敗もあった。その上で現代の課題を考え、将来の在り方を展望する。 全体は、三つのパートで構成されている。 「T.発展期の日本経済と金融政策」では、敗戦後の復興期の苦闘と朝鮮動乱を契機とする戦前水準への復帰、国際環境に恵まれ先進国の水準に追い付いた高度成長期、ブレトンウッズ体制の崩壊と変動相場制への移行、二度の石油ショックなどの転機を乗り切り、先進国中最高のパフォーマンスを保ち、「強い国・日本」と呼ばれた日本経済の最後の輝き、などについて、その時々の経済政策と共に、私自身の体験を含めて述べた。 「U.日本経済の挫折」は、国際政策協調という名の金融政策「拘束」によって資産バブルが発生、崩壊し、財政再建最優先の97年度超緊縮予算によって戦後初の金融恐慌を引き起こし、「失われた15年」のデフレに陥るまでの失政の数々を、日本銀行理事、衆議院議員であった私自身の体験を混えて詳しく述べた。 「V.金融政策の新たな挑戦」は、ゼロ金利でも立ち直らない「流動性の罠」に陥った日本経済に対し、世界初の「非伝統的金融政策」で挑戦したプロセス、米欧の金融危機と世界同時不況で夢と消えたデフレ脱却、最後に打ち出された「異次元」の金融緩和とマイナス金利政策などについて、それぞれの効果と限界を検証し、最後にアベノミクスを超えて、日本経済が発展する途を考えた。 当面の金融政策運営については、本年3月現在、日本経済はほぼ完全雇用を達成し、過去2年半コアコアCPI(生鮮食品とエネルギーを除く全国消費者物価)で見ればデフレを脱した状態にある以上、この物価安定(コアコアCPIで1%強のインフレ率)と完全雇用を維持することが金融政策の本来の目的である。もともと高すぎる「2%」のインフレ目標達成に、いつまでもこだわらない方が良い。 マイナス金利政策によって一層の金利引き下げに踏み出したからには、持続性に限界のある「量的・質的金融緩和」政策の規模は縮小し、将来の日本銀行の損失リスクと民間のシステミック・リスクを小さくした方がよい。その上で、マイナス金利政策を中心に金融緩和政策全体の持続性を高める方が賢明である。政策効果の波及経路は、基本的には、ポートフォリオ・リバランス効果ではなく、金利効果だからである。 また、政策変更に際しては、サプライズによって市場の動揺を招くのは適切ではない。あらかじめ「市場との対話」を重ねる姿勢に転換した方が、市場の期待を誘導する上でもよい。なお、17年4月に予定されている消費増税は、成長の持続性を危うくする極めて危険な政策であり、中止すべきである。成長が挫折すれば、財政再建は元も子もない。 日本経済を長期的に見ると、生産年齢人口の減少に伴って潜在成長率が低下しているので、超金融緩和の持続によってある程度の総需要拡大を図ることが出来れば、需給ギャップが引き締まってデフレを終わらせることは出来るし、現にそうなって来た。コアコアCPIの前年比は、13年10月以降2年半にわたって前年を上回っている。 しかしデフレが終わっただけでは、日本経済は低い潜在成長率を反映して先進国中最低の成長率を続け、世界やアジアの経済の中で、地盤沈下を続けるだけであろう。その結果、将来の日本の国際的地位は、経済のみならず、政治や安全保障の面でも低下するに違いない。 デフレが終わった後に、日本経済をより高い成長経路に戻すためには、生産性向上のテンポを速める投資を喚起しなければならない。しかし金融緩和には、それを単独で実現する力はない。2%のインフレ目標を掲げた「量的・質的金融緩和」政策と16年2月以降の「マイナス金利」政策で市場の名目金利を押し下げ、人々の予想インフレ率を高め、実質金利をマイナスの領域でかなり低下させても、期待成長率が低下し、将来の海外経済のリスクも大きい現状では、投資の金利弾力性は低く、生産性向上テンポを高めるような投資が十分には出てこないからである。円安・株高で潤った企業収益が、賃上げに十分向かわないのも、期待成長率が低く、リスクが大きいからである。 その上、14年4月の消費増税のショックも加わって、14、15年の日本経済はゼロ成長近傍で低迷している。それでも、インフレ率が2%に達するまで現在の超金融緩和を強化して行けば、日本経済はスタグフレーション的体質を強め、金融システム混乱のリスクが高まるばかりである。 アベノミクスは、旧第3の矢「成長戦略」で生産性向上のテンポを速めようとし、新第2の矢「20年代半ばに希望出生率1・8%」、新第3の矢「20年代初期に介護離職ゼロ」で生産年齢人口の減少テンポ抑制と、女性と高齢者の労働力率引き上げを目指している。これらが実現すれば、潜在成長率を高める上で有効であるが、今のところ言葉ばかりが先行し、十分な成果が挙がる見通しはない。 欧米の先進国も少子高齢化で国民の生産年齢人口の伸びが落ち、あるいは減少しているが、移民を受け入れることによって生産年齢人口全体を増加させている。その結果、生産年齢人口1人当たりのGDP成長率は日本の方が高いのに、GDP全体の成長率は日本が最低である。移民の受け入れには社会的摩擦などの問題点があるが、日本民族の源流を形作っているアジアの近隣諸国の人々を対象に、始めは永住権や国籍を与えない「ゲスト・ワーカー型プラグラム」からスタートするなど、さまざまな形で工夫をこらし、計画的に移民を受け入れる時が来ているのではないだろうか。それが嫌だと言うのであれば、日本は世界の中で地盤沈下を続けるほかはない。 計画的な移民受け入れによって就業者数を増やし、潜在成長率を高めることと並んで、もう一つ大切な対策がある。それは、対外直接投資をもっと支援し、日本の企業が国内よりも投資機会が豊富で成長率の高い海外市場で、これ迄以上に活躍し、日本への所得送金をもっと増やすように誘導することである。 @潜在成長率引き上げは日本の期待成長率を高め、支出の金利弾力性を回復させて金融政策の有効性を高め、日本のGDP(国内総生産)成長率を押し上げるであろう。Aこれと並んで海外からの受取所得増加は、日本のGNI(国民総所得)を増やし、GDP成長率以上に国民生活のマクロ経済的基盤を向上させるであろう。これが「アベノミクスを超えて」、日本経済を発展させる道である。 この本は、当初、戦後金融経済史の「岩波新書」として企画されたが、過去の歴史にとどまらず、現在と将来の日本経済を考える一冊の単行本とすることを岩波新書編集部に勧められ、この形となった。 執筆の過程では、福井俊彦、山口泰、黒田巌、翁邦雄の各氏と折に触れて意見交換したことが大変役に立った。また日本銀行の調査統計局、金融研究所のスタッフから、資料収集の面で助けて頂いた。これらの方々に対し、ここに記して深く感謝したい。しかし、この本の著述はあくまでも私個人の判断に基づいており、ありうべき瑕疵についての責は私が負うべきことである。 最後になったが、企画から完成に至るまで、敬愛する友人の山口昭男岩波書店前社長に、ひとかたならぬお世話になった。編集の過程では、岩波書店新書編集部の坂本純子編集長と中山永基氏に大変ご苦労をおかけし、また貴重なアドバイスを頂いた。私の秘書の西田千絵さんには、原稿の整理、図表の作成などで大変お世話になった。四人の方々に改めて厚くお礼を申し上げたい。 2016年4月 鈴木淑夫 |
【目次】
T 発展期の日本経済と金融政策 1 占領下の金融政策 ―― インフレ下の産業復興と防がれた「恐慌」 2 高度成長期へ ――恵まれた国際環境 3 転機 ―― 国債発行と経常収支の黒字定着 4 「強い国・日本」 ―― 最後の輝き U 日本経済の挫折 5 バブルの発生 ―― 国際政策協調という「拘束」 6 バブルの崩壊とバランスシート・リセッション ――忘れていた昭和金融恐慌 7 防げなかった「恐慌」と「失われた15年」=デフレの始まり ――「財政再建至上主義」に踊らされた政治 V 金融政策の新たな挑戦 8 ゼロ金利と量的緩和=非伝統的金融政策 ―― ゼロ成長からの回復 9 米欧の金融危機と世界同時不況 ―― 消えたデフレ脱却 10 そして異次元へ ―― 効いているのか 11 出口はどこに ―― マイナス金利政策の行方と膨らむリスク 12 どうなる日本経済 ―― アベノミクスを超えて |