はじめに この本は、戦後70年の日本の金融経済の歩みを整理し、次々と変化する経済発展の諸相と国際経済との係わりに対応し、先人達が如何に試練に耐え、新しい事態に創意をこらして挑戦してきたかを描く。そこには成功もあれば失敗もあった。その上で現代の課題を考え、将来の在り方を展望する。 全体は、三つのパートで構成されている。 「T.発展期の日本経済と金融政策」では、敗戦後の復興期の苦闘と朝鮮動乱を契機とする戦前水準への復帰、国際環境に恵まれ先進国の水準に追い付いた高度成長期、ブレトンウッズ体制の崩壊と変動相場制への移行、二度の石油ショックなどの転機を乗り切り、先進国中最高のパフォーマンスを保ち、「強い国・日本」と呼ばれた日本経済の最後の輝き、などについて、その時々の経済政策と共に、私自身の体験を含めて述べた。 「U.日本経済の挫折」は、国際政策協調という名の金融政策「拘束」によって資産バブルが発生、崩壊し、財政再建最優先の97年度超緊縮予算によって戦後初の金融恐慌を引き起こし、「失われた15年」のデフレに陥るまでの失政の数々を、日本銀行理事、衆議院議員であった私自身の体験を混えて詳しく述べた。 「V.金融政策の新たな挑戦」は、ゼロ金利でも立ち直らない「流動性の罠」に陥った日本経済に対し、世界初の「非伝統的金融政策」で挑戦したプロセス、米欧の金融危機と世界同時不況で夢と消えたデフレ脱却、最後に打ち出された「異次元」の金融緩和とマイナス金利政策などについて、それぞれの効果と限界を検証し、最後にアベノミクスを超えて、日本経済が発展する途を考えた。 当面の金融政策運営については、本年3月現在、日本経済はほぼ完全雇用を達成し、過去2年半コアコアCPI(生鮮食品とエネルギーを除く全国消費者物価)で見ればデフレを脱した状態にある以上、この物価安定(コアコアCPIで1%強のインフレ率)と完全雇用を維持することが金融政策の本来の目的である。もともと高すぎる「2%」のインフレ目標達成に、いつまでもこだわらない方が良い。 マイナス金利政策によって一層の金利引き下げに踏み出したからには、持続性に限界のある「量的・質的金融緩和」政策の規模は縮小し、将来の日本銀行の損失リスクと民間のシステミック・リスクを小さくした方がよい。その上で、マイナス金利政策を中心に金融緩和政策全体の持続性を高める方が賢明である。政策効果の波及経路は、基本的には、ポートフォリオ・リバランス効果ではなく、金利効果だからである。 また、政策変更に際しては、サプライズによって市場の動揺を招くのは適切ではない。あらかじめ「市場との対話」を重ねる姿勢に転換した方が、市場の期待を誘導する上でもよい。なお、17年4月に予定されている消費増税は、成長の持続性を危うくする極めて危険な政策であり、中止すべきである。成長が挫折すれば、財政再建は元も子もない。 日本経済を長期的に見ると、生産年齢人口の減少に伴って潜在成長率が低下しているので、超金融緩和の持続によってある程度の総需要拡大を図ることが出来れば、需給ギャップが引き締まってデフレを終わらせることは出来るし、現にそうなって来た。コアコアCPIの前年比は、13年10月以降2年半にわたって前年を上回っている。 しかしデフレが終わっただけでは、日本経済は低い潜在成長率を反映して先進国中最低の成長率を続け、世界やアジアの経済の中で、地盤沈下を続けるだけであろう。その結果、将来の日本の国際的地位は、経済のみならず、政治や安全保障の面でも低下するに違いない。 デフレが終わった後に、日本経済をより高い成長経路に戻すためには、生産性向上のテンポを速める投資を喚起しなければならない。しかし金融緩和には、それを単独で実現する力はない。2%のインフレ目標を掲げた「量的・質的金融緩和」政策と16年2月以降の「マイナス金利」政策で市場の名目金利を押し下げ、人々の予想インフレ率を高め、実質金利をマイナスの領域でかなり低下させても、期待成長率が低下し、将来の海外経済のリスクも大きい現状では、投資の金利弾力性は低く、生産性向上テンポを高めるような投資が十分には出てこないからである。円安・株高で潤った企業収益が、賃上げに十分向かわないのも、期待成長率が低く、リスクが大きいからである。 その上、14年4月の消費増税のショックも加わって、14、15年の日本経済はゼロ成長近傍で低迷している。それでも、インフレ率が2%に達するまで現在の超金融緩和を強化して行けば、日本経済はスタグフレーション的体質を強め、金融システム混乱のリスクが高まるばかりである。 アベノミクスは、旧第3の矢「成長戦略」で生産性向上のテンポを速めようとし、新第2の矢「20年代半ばに希望出生率1・8%」、新第3の矢「20年代初期に介護離職ゼロ」で生産年齢人口の減少テンポ抑制と、女性と高齢者の労働力率引き上げを目指している。これらが実現すれば、潜在成長率を高める上で有効であるが、今のところ言葉ばかりが先行し、十分な成果が挙がる見通しはない。 欧米の先進国も少子高齢化で国民の生産年齢人口の伸びが落ち、あるいは減少しているが、移民を受け入れることによって生産年齢人口全体を増加させている。その結果、生産年齢人口1人当たりのGDP成長率は日本の方が高いのに、GDP全体の成長率は日本が最低である。移民の受け入れには社会的摩擦などの問題点があるが、日本民族の源流を形作っているアジアの近隣諸国の人々を対象に、始めは永住権や国籍を与えない「ゲスト・ワーカー型プラグラム」からスタートするなど、さまざまな形で工夫をこらし、計画的に移民を受け入れる時が来ているのではないだろうか。それが嫌だと言うのであれば、日本は世界の中で地盤沈下を続けるほかはない。 計画的な移民受け入れによって就業者数を増やし、潜在成長率を高めることと並んで、もう一つ大切な対策がある。それは、対外直接投資をもっと支援し、日本の企業が国内よりも投資機会が豊富で成長率の高い海外市場で、これ迄以上に活躍し、日本への所得送金をもっと増やすように誘導することである。 @潜在成長率引き上げは日本の期待成長率を高め、支出の金利弾力性を回復させて金融政策の有効性を高め、日本のGDP(国内総生産)成長率を押し上げるであろう。Aこれと並んで海外からの受取所得増加は、日本のGNI(国民総所得)を増やし、GDP成長率以上に国民生活のマクロ経済的基盤を向上させるであろう。これが「アベノミクスを超えて」、日本経済を発展させる道である。 この本は、当初、戦後金融経済史の「岩波新書」として企画されたが、過去の歴史にとどまらず、現在と将来の日本経済を考える一冊の単行本とすることを岩波新書編集部に勧められ、この形となった。 執筆の過程では、福井俊彦、山口泰、黒田巌、翁邦雄の各氏と折に触れて意見交換したことが大変役に立った。また日本銀行の調査統計局、金融研究所のスタッフから、資料収集の面で助けて頂いた。これらの方々に対し、ここに記して深く感謝したい。しかし、この本の著述はあくまでも私個人の判断に基づいており、ありうべき瑕疵についての責は私が負うべきことである。 最後になったが、企画から完成に至るまで、敬愛する友人の山口昭男岩波書店前社長に、ひとかたならぬお世話になった。編集の過程では、岩波書店新書編集部の坂本純子編集長と中山永基氏に大変ご苦労をおかけし、また貴重なアドバイスを頂いた。私の秘書の西田千絵さんには、原稿の整理、図表の作成などで大変お世話になった。四人の方々に改めて厚くお礼を申し上げたい。 2016年4月 鈴木淑夫 |
【目次】
T 発展期の日本経済と金融政策 1 占領下の金融政策 ―― インフレ下の産業復興と防がれた「恐慌」 2 高度成長期へ ――恵まれた国際環境 3 転機 ―― 国債発行と経常収支の黒字定着 4 「強い国・日本」 ―― 最後の輝き U 日本経済の挫折 5 バブルの発生 ―― 国際政策協調という「拘束」 6 バブルの崩壊とバランスシート・リセッション ――忘れていた昭和金融恐慌 7 防げなかった「恐慌」と「失われた15年」=デフレの始まり ――「財政再建至上主義」に踊らされた政治 V 金融政策の新たな挑戦 8 ゼロ金利と量的緩和=非伝統的金融政策 ―― ゼロ成長からの回復 9 米欧の金融危機と世界同時不況 ―― 消えたデフレ脱却 10 そして異次元へ ―― 効いているのか 11 出口はどこに ―― マイナス金利政策の行方と膨らむリスク 12 どうなる日本経済 ―― アベノミクスを超えて |
はじめに 1. 戦後日本の金融経済の転機 2. 米国・西独に並ぶ「強い国」日本 3. 国際協調という名の金融政策拘束 4. バブルの崩壊とバランスシート・リセッション 5. 平成金融恐慌と日本経済の劣化 6. 世界初のゼロ金利政策と量的緩和政策 7. 米欧の金融危機と世界同時不況 8. 黒田日銀の異次元金融緩和―その狙いとリスク |
第16章 日銀の現職課長が三木首相の経済顧問に 鈴木 淑夫氏
元日銀理事 元衆議院議員 マルクス経済学から近代経済学へ 日銀入行と金融正常化論 時代とともに変化した日銀の「物価観」 ロンドンからの帰国と過剰流動性インフレ 森永・前川体制下の日銀 内国調査課長から松本支店長に 三木武夫首相の私的ブレーンに 数々の著作・論文と金融研究所の創設 金融研究所で署名入り論文を書く プラザ合意後の経済情勢 バブル崩壊後―野村総研理事長から政界へ 強化すべきは「他流試合の場」 |
1.日本の経済針路 鈴木淑夫 はじめに 1.1 「失われた10年」 1.2 米欧のマクロ経済政策の行き詰まりと停滞の長期化 ―日本の経験の一般化 1.3 アジアが世界経済をリードする 1.4 日本の有利な条件・不利な条件 1.5 日本経済の短期予測(大震災前) 1.6 東日本大震災 1.7 日本経済の中期展望 |
発行年 | 書 名 | 発 行 | 備考 |
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2009 | 日本の経済針路 | 岩波書店 | |
2002〜07年の戦後最長景気は、米国発の金融危機と世界同時不況によって終わり、日本経済は、08年度に戦後最長・最深のマイナス成長に陥った。折りしも政治の世界では、09年の総選挙で政権交替可能な議会制民主主義が、日本で初めてスタートするかどうかの瀬戸際である。 総選挙後の新政権が直面する日本経済は、「百年に一度」と言われる程厳しい世界同時不況の中で、容易ならぬ事態に陥っている。09年初めには、輸出と鉱工業生産・出荷が前年比で4割前後も落ち込み、その衝撃が雇用、所得など国民生活全般に広がっている。 新政権は、このような事態に直面して何をなすべきであろうか。日本経済の針路をどこに定め、どのようなマクロ経済政策を展開すべきであろうか。 この本では、それを正面から取り上げて、論じてみた。現状分析の論述では、最新データで補筆しているが、前著『円と日本経済の実力』(岩波ブックレット、2008年)の記述と多少重複する部分があることをご了解願いたい。 |
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2009 | 危機の日本経済 | NTT出版 | |
―09年2月21日開催のパネル・ディスカッションの成果(このHPの<講演の予定>”鈴木政経フォーラム・樫の会・慶応読書会のパネル討論会(H21.2.21)”参照)をとりまとめた本 | |||
2008 | 円と日本経済の実力 | 岩波ブックレット | |
2001年から2006年迄の6年間に、日本の一人当たり名目GDPが、先進国の中で第3位から第18位まで急激に低下した「日本経済の一人負け」と、その結果起こっている現在の「日本売り」の原因を、分かり易く分析・解説し、日本が実力を取り戻すには、どのような経済戦略をとるべきかを論じている。 2001年から現在までの8年間は小泉・安倍・福田内閣の時代と重なる。その意味で、この小冊子は、これらの内閣のマクロ経済政策と日本銀行の超低金利政策を総括する内容となっている。 |
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2006 | 追想 吉野俊彦 | 吉野俊彦博士追想録刊行委員会(委員長 鈴木淑夫) | |
平成17年8月12日に90歳の天寿を全うされた経済学博士吉野俊彦氏(元日本銀行理事、元山一証券経済研究所理事長)の追想録。吉野氏の自叙伝、広い分野の方々81名から寄せられた追想文、諸資料から成る379頁。戦後の論壇を安定成長論でリードし、生涯現役を貫かれたエコノミストの貴重な足跡。 | |||
2004 | 日本経済 持続的成長の条件 | 東洋経済新聞社 | |
本格回復にいま何が必要か!改革を阻む「バカの壁」を壊し、国内民間需要を活性化せよ! これからの21世紀型社会は、「心の豊かさ」を求め、人々が多様な行き方をする社会になるであろう。しかし、21世紀型の多様なニーズに応えようとする国内の非製造業の分野が、いま規制と官製市場の圧迫で、本来の創意、工夫を発揮できないでいる。民間経済と地域社会は自立を進めて活力を呼び戻し、中央政府は小さな効率的組織に変らなければならない。そうすれば、輸出主導の短命な景気に代って、国内民間需要に主導された持続的な成長が始まる。 | |||
2003 | 改革と景気は両立する | 大修館書店 | |
「創る」改革が日本を救う! 不良債権処理と財政赤字削減を急ぐな! エコノミスト議員からの警鐘 ! 小泉改革は、不良債権処理の加速、公共投資の削減、国債発行の抑制など「壊す」ばかりで「創る」ことを知らない。これでは景気は悪くなるばかりだ。規制撤廃、地方分権、大幅減税などで、政官業癒着の温床となっている古い仕組みを「壊し」、民間活力を引き出す新しい仕組みを「創る」のだ。そうすれば改革と景気は両立し、「元気な民間、小さな政府」が実現する。 | |||
1999 | 「デノミ」の政治経済学 | 東洋経済新報社 | |
円を「普通の通貨」にしよう!! 先進国の中で、第二次大戦後に物価が何百倍にもなったフランスとフィンランドは、それぞれ1960年と63年に通貨呼称単位を100分の1に直すデノミを実施した。ひとり円だけが先進国の中で第二次大戦後の大インフレーションのあと始末をせず、先進国と3けたの為替相場で向き合ってる。このような20世紀の負の遺産を、そのまま21世紀に引きずっていってよいのか。 しかもその日本は、GDP世界第2位、対外純資産残高世界1位の経済大国である。ドル偏重で通貨危機を招いたアジア諸国は、貿易と資本取引で関係の深い経済大国日本の円をもっと使いたがっている。しかしその円が0.0095ドルでは、国際取引の価値尺度として失格しており、使い勝手が悪いことこの上ない。円を国際公共財として世界、とくにアジアに提供するためには、ドル、ユーロとそろうように、「100分の1のデノミ」を実施しなければならない。それが21世紀初頭における日本の大きな国際貢献である。 | |||
1998 | 政策不況 脱出の道筋 | 東洋経済新報社 | |
97〜98年の政策不況の本質とそこから脱出する政策的道筋を論じた本。旧新進党は、97年夏に、体系的政策として「日本再構築宣言」を発表したが、その作成の過程で蓄積された資料やシミュレーションが基礎となっている。具体的には、政府の財政再建最優先政策の間違いを指摘した上で、旧新進党の基本的な考え方である「経済再建なくして財政再建なし」をデータに基づいて論じる、いわば「日本再構築宣言」の経済・財政分野の解説本といえる。旧新進党の「財政構造改革プロジェクトチーム」の7名が各論を執筆し、経済・財政政策の責任者であった鈴木淑夫と政審会長の野田毅が本全体のイントロダクションに当たるプロローグを共同執筆した。また、総論に当たる第1章では、鈴木、野田が対談を行っている。野党の国会議員が自ら執筆した経済分析の書という点で、注目されている。 | |||
1997 | ビッグバンのジレンマ | 東洋経済新報社 | |
第140回通常国会(97年1〜6月)終了後の97年7月、鈴木淑夫が一気に書き下ろした最新の著作。日本の金融規制撤廃と金融税制の国際標準化が十分行われないうちに、98年4月の為替管理完全撤廃が行われると、日本は国際競争に敗れて金融空洞化が加速する。だからといって金融規制の撤廃と金融税制の国際標準化を一気に進めると、不良債権を抱える日本の金融機関の倒産が増え、金融危機が生まれる。このジレンマを解決するには、一方で規制撤廃と税制の国際標準化を急ぎ、日本の金融機関が負っているハンディキャップをなくし、他方で個別金融機関の破綻が金融システム全体の動揺を招かないようにセーフティネットを強化し、また、改革の痛みを吸収するマクロ経済の発展を中期的に図ることである、と説く。第1部では、ビッグバンのジレンマを詳しく分析し、規制撤廃と税制の国際標準化の促進を具体的に説き、第2部では、ビッグバンに対応した金融行政の在り方や、不良債権処理の強化策を論じ、第3部では、ビッグバンの公共版ともいうべき財政投融資制度の改革を論じ、政府の財政構造改革の問題点を批判する。それは同時にビッグバンの痛みを吸収できるような日本のマクロ経済発展の処方箋でもある。 | |||
1996 | 実践ゼミナール 日本の金融 編著 | 東洋経済新報社 | |
東洋経済新報社が出版している一連の「実践ゼミナール」の一つ。1986年に出版された鈴木淑夫編『実践ゼミナール 日本の金融と銀行』の改訂版で、今回は慶応大学岡部光明教授との共編。執筆者は日本銀行、民間銀行および大学の教授達。金融の実情と理論を踏けうまえた実践的な入門編。 | |||
1996 | ケインズは本当に死んだのか 共著 | 日本経済新聞社 | |
ケインズ没後50周年を記念し、鈴木淑夫を含む8人の学者、エコノミストがケインズ理論の現代 的意義と限界について執筆。巻末の座談会はこの本の編集者金森久雄氏が司会し、篠原三代平教授、 小宮隆太郎教授、鈴木淑夫の3名が参加。 | |||
1995 | 円デフレとドルインフレ | 東洋経済新報社 | |
1ドル79円75銭まで超円高が進んだ1995年の日本経済とアメリカ経済を分析。何故経済が停滞する日本の通貨が強く、経済が発展しているアメリカの通貨が弱くなるのかを解明、超円高とデフレから脱出する政策を提言。それは政府の財政構造改革の強行で再び経済停滞→経常黒字拡大→超円高が起こりそうな現代にも生きる政策提言である。 | |||
1995 | 日本的金融政策 | 中国発展出版社 | 中国語版 |
1993年に岩波新書として出版された『日本の金融政策』が中国語に全訳、中国発展出版社の発 展文庫の1つとして出版された。 | |||
1994 | 不況克服後 日本経済の将来像 −悪循環からの脱却− |
東洋経済新報社 | |
平成不況の中で経済の停滞が経常黒字の拡大を生み、それが円高をもたらして日本の輸出産業を苦 しめ、更に経済が停滞するという悪循環から脱出する為の経済政策を提言、日本経済の将来像を描 いたもの。 | |||
1994 | 現代エコノミスト選集 日本経済の50年鈴木淑夫集 | NTT出版 | |
鈴木淑夫のほか、篠原三代平、宮崎勇、竹内宏、金森久雄の計5名の著作集を現代エコノミスト選 集5巻として出版したうちの一巻もの。鈴木淑夫集は金融政策論、金融改革論、物価論、日本経済 論の4つに分けて過去三十数年間の著作、論文の中から代表的なものを収録、一貫した“自由化” の主張が鮮明。 | |||
1994 | 金融辞典 編著 | 東洋経済新報社 | |
館龍一郎東大名誉教授を編集委員代表とし、鈴木淑夫、貝塚啓明東大羽名誉教授、蝋山昌一阪大教 授の3名を責任編集者として編纂した日本の金融辞典の決定版。 | |||
1993 | 日本経済大躍進 | 中華民国経済部国際貿易局 中国語版 | |
1991年に出された「いつまで続く日本経済の躍進」を全訳した中国語版。 | |||
1993 | 日本の金融政策 | 岩波新書 | |
岩波新書として出版された鈴木淑夫の金融政策論の最新版。バブルの発生と崩壊に対する金融政策 の責任を論じ、日本銀行法の改正を主張。日本の金融政策に関する入門書であり、啓蒙書。 | |||
1992 | 日本経済の再生 −バブル経済を越えて− | 東洋経済新報社 | |
バブルの発生と崩壊を伴う平成景気からの負の遺産と正の遺産を整理し、負の遺産を克服して、正 の遺産を生かすための日本経済再生の処方箋を論じたもの。 | |||
1991 | 国際化時代の自由秩序 共著 | 春秋社 | |
西山千明立教大学教授の退任記念論文集。鈴木淑夫「将来の通貨体制における日本の役割」が集録されている。 | |||
1991 | どこへ行く日本経済 戦後経済史に学ぶ 共著 | 東洋経済新報社 | |
8人の学者、エコノミストが専門分野について戦後の日本経済の推移を論じたもの。鈴木淑夫「戦 後金融政策の役割とその効果」を集録。 | |||
1991 | いつまで続く日本経済の躍進 | NTT出版 | |
平成景気の末期に日本経済躍進の原因を分析した書。 | |||
1991 | 金融用語辞典(第3版) 編著 | 東洋経済新報社 | |
鈴木淑夫が編者となり、総て日本銀行と野村総合研究所のエコノミストが執筆した金融用語辞典の最新決定版。 | |||
1991 | ポスト湾岸 日本と世界はこうなる 共著 | 東洋経済新報社 | |
湾岸戦争後の日本と世界の将来について、5人のエコノミストが論じたもの。鈴木淑夫「日本経済: 最善のシナリオはどこまで続く」を集録。 | |||
1990 | 日本経済日はまだ高い | 東洋経済新報社 | |
ビル・エモットの日本経済没落論に対抗し、政策が適切なら日本経済はまだ発展を続けると主張したもの。 | |||
1989 | Japan's Economic Performance and International Role | 東京大学出版会 | 英語版 |
橋本総理の補佐役である岡本行夫氏が、「日本経済を外国人にも分かる論理で説明した初めての本」と強く推奨する書。英語版。 | |||
1988 | Toward a World of Economic Stability:Optimal Monetary Framewark and Policy (Editor) | 東京大学出版会 | 英語版 |
鈴木淑夫が日本銀行理事調査研究担当であった時に行われた国際会議のproceedings。 | |||
1988 | The Japanese Financial System (Editor) | オックスフォード大学出版会 | 英語版 |
鈴木淑夫が日本銀行の金融研究所所長の時、編者として上梓した『わが国の金融制度』の英訳本。 | |||
1987 | 日本金融自由化和金融政策 | 中国金融出版社 | 中国語版 |
1985年に出版された鈴木淑夫『金融自由化と金融政策』の中国語への完訳本。 | |||
1987 | 世界の中の日本経済と金融 | 東洋経済新報社 | |
日本経済の国際的地位が向上してきた80年代後半、世界の中における日本経済と金融の位置づけおよび役割を論じた書。 | |||
1987 | 日本金融制度 編 | 韓国銀行 | 韓国語版 |
鈴木淑夫が日本銀行の金融研究所所長の時、編者として上梓した『わが国の金融制度』の韓国語への完訳本。 | |||
1987 | 日本的金融制度 編 | 中国金融出版社 | 中国語版 |
鈴木淑夫が日本銀行の金融研究所所長の時、編者として上梓した『わが国の金融制度』の中国語へ の完訳本。 | |||
1987 | 転換期の金融政策 −日本の対応− | 韓国経済新聞社 | 韓国語版 |
1985年の鈴木淑夫『金融自由化と金融政策』の韓国語への完訳本。 | |||
1986 | 実践ゼミナール 日本の金融と銀行 編著 | 東洋経済新報社 | |
この本の最新版は1996年『実践ゼミナール〜日本の金融〜』である。 | |||
1986 | わが国の金融制度 編 | 日本銀行金融研究所 日本信用調査(株) | |
鈴木淑夫が日本銀行の金融研究所所長の時、編者として、金融研究所スタッフの総力を挙げて作成した日本の金融制度の解説本。 | |||
1986 | Financial Innovation and Monetary Policy:Asia and the West (Editor) | 東京大学出版会 | 英語版 |
鈴木淑夫が日本銀行の金融研究所所長の時に主催した国際会議のproceedings。 | |||
1986 | Money,Finance,and Macro-economic Performance in Japan | エール大学出版会 | 英語版 |
1983年に日本で出版された鈴木淑夫『日本金融経済論』の英語版。 | |||
1986 | 日本銀行的貨幣政策及其調節機能 | 中国金融出版社 | 中国語版 |
鈴木淑夫が北京で行った戦後の日本金融政策に関する3回の連続講演の記録を、中国金融出版社が まとめて出版した中国語の本。 | |||
1985 | Monetary Policy in Our Times (Editor) | マサチューセッツ工科大学出版会 | |
鈴木淑夫が日本銀行の金融研究所副所長の時に、江口英一所長と共に主催した国際会議の proceedings.。 | |||
1985 | 金融自由化と金融政策 | 東洋経済新報社 | |
ようやく進み始めた金融自由化の下で、金融政策がどのように変っていくかを論じたもの。 | |||
1983 | 日本金融経済論 | 東洋経済新報社 | |
当時世界的潮流となったマネーサプライ重視の金融政策運営と、その背後にある経済理論を詳しく 論じた書。 | |||
1981 | 日本経済と金融 −その転換と適応− | 東洋経済新報社 | |
高度成長の終焉と変動為替相場制への以降直後の日本経済と金融について分析した書。 | |||
1980 | Money and Banking in Contemporary Japan | エール大学出版会 | 英語版 |
1974年に日本で上梓した鈴木淑夫『現代日本金融論』の英語版。 | |||
1980 | 金融 | 日経文庫 | |
鈴木淑夫が日本銀行松本支店長の時代に信州大学で講義した講義録を基に、日経文庫としてまとめた金融の入門書。 | |||
1975 | 生涯設計計画 共著 | 日本経済新聞社 | |
故村上泰亮、蝋山昌一両教授と共に鈴木淑夫が取りまとめ、当時の三木首相に提出した「生涯設計(ライフサイクル)計画」を出版したもの。 | |||
1974 | 現代日本金融論 | 東洋経済新報社 | 第15回エコノミスト賞受賞 |
鈴木淑夫が東京大学に提出した学位請求論文であり、また第15回エコノミスト賞を受賞した著書。 日本における金融政策の効果波及経路を資産の一般均衡論の立場から構築した理論モデルで論じ、 計量分析によって実証した。 | |||
1971 | インフレーションと通貨危機 | 日本国際問題研究所 | |
鈴木淑夫が1967〜1970年まで日本銀行のロンドン事務所のエコノミストとして英国に滞在 し、学んだことを基に書いた、世界的なインフレーションと通貨危機の分析。 | |||
1968 | 国債管理と金融政策 編著 | 日本経済新聞社 | |
大量の国債発行が始まり日本でも国債管理と金融政策の関係が論じられ始めた頃の論文集。編者は 館龍一郎、小宮隆太郎および鈴木淑夫。 | |||
1966 | 金融政策の効果−銀行行動の理論と計測− | 東洋経済新報社 | 第10回日経経済図書文化賞受賞 |
ジェームス・トービーのマニュスクリプトから強い示唆を受け、日本の金融政策の効果波及経路を 分析する理論モデルを作り、銀行行動を計測した書。第10回日経経済図書文化賞を受賞。 | |||
1964 | 日本の通貨と物価 | 東洋経済新報社 | |
鈴木淑夫が初めて単独で著した処女作。ミルトン・フリードマンから強い刺激を受け、日本におけ る通貨と物価の関係を実証的、理論的に分析。既に金融自由化を主張している。 | |||
1962 | 経済成長と物価問題 共著 | 春秋社 | |
吉野俊彦編であるが、全体の1/3にあたる日本の物価問題を鈴木淑夫が著述した。昭和30年代 後半の消費者物価の上昇と卸売物価の安定の関係を論じたもの。 |